ロスチャイルド利権・
バクー油田一元化
西暦1,873年、バクーの地から石油が噴き上がった──
ノーベル家とロスチャイルド家が分け合った油田の三十二年を一元化。
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本書について
西暦1,873年、ロシア帝国のバクー——現在のアゼルバイジャンで、最初の油井が噴出した。同年3月、ロバート・ノーベルが此の地を訪れ、ビビ・エイバート油田と当地の製油所を購入して石油事業を開始する。西暦1,875年にはバラハニ油田を買い足し、翌西暦1,876年、ロバートの25,000ルーブル、ピーター・フォン・ビルダーリング男爵の300,000ルーブル、スタンダートスキョルド男爵の150,000ルーブルという共同出資により、バクーに石油の蒸留所が設立された。本書は、此の一本の油井から、西暦1,905年のバクー油田労働者ストライキの妥結迄——ノーベル家とロスチャイルド家がバクーの石油を分け合ってゆく三十二年を、年月日単位で一元化した記録である。
同じ西暦1,876年、ルートヴィヒ・ノーベルが石油事業に参加する。彼が着目したのは石油生産ではなく石油輸送であった。バラハニ油田から製油所までの15kmに及ぶパイプラインを敷設し、更に船倉にタンクを作って直接石油を詰め込む「タンカー」という輸送手段を考案して、スウェーデンの造船会社に発注する。西暦1,878年、世界初の石油タンカー船「ゾロアスター号」が完成した。そして西暦1,879年5月18日、ロバートは自身が西暦1,876年にバクーへ設立した蒸留所を基に、ルートヴィヒと共に「ノーベル兄弟産油会社」を、サンクトペテルブルクに本社を置く持株会社として設立する。株式資本はルートヴィヒ53.7%、ピーター・フォン・ビルダーリング男爵31%、I.J.ザベルスキフ4.7%、アルフレッド・ノーベル3.8%、ロバート3.3%、アレクサンドル・フォン・ビルダーリング男爵1.7%に分割された。
西暦1,883年、フランス・ロスチャイルド商会が出資していた「トランスコーカサス鉄道」が完成する。バクーからコーカサス山中を縦断し、バトゥミ——現在のジョージアに至る路線であり、其の後、アルフォンス・ド・ロスチャイルド、ハジ・ゼイナラブディン・タギエフ、ムサ・ナギエフ、イワン・イリモフ、アレクサンダー・ベンケンドルフ、S・バギロフ等により、バクー-バトゥミ間の石油パイプライン設置が検討され始めた。同年5月16日、アルフォンス・ド・ロスチャイルドは鉄道への融資と引き換えにバクーの石油権益を獲得し、「カスピ海・黒海石油産業貿易会社」を設立する。6,000,000ルーブルと25,000,000フランの初期資本をロシア帝国の金庫に納め、アドリア海沿岸の自らの製油所へ石油を送り始めた。更に135社の小規模製油業者と互いに有利な条件で灯油を買い取ってロシア灯油の最大輸出業者となり、バクー→アントウェルペン(石油汽船ファーガソン号)、バクー→ロンドンという輸送ルートを構築してヨーロッパでの販売網を整えてゆく。バクー・パリ・サンクトペテルブルクの3箇所で石油に関する情報を収集し、其の知識を基にロシア帝国内の石油生産の変化へ迅速に対応する事で、バクー・グロズヌイ・マイコープ・トルクメニスタンに確固たる地位を築いた。
数字は伸び続ける。西暦1,884年、フランス・ロスチャイルド商会がバクーから輸出した石油製品は39,312t、トランスコーカサス鉄道で輸送された石油製品は91,728tであった。西暦1,887年、カスピ海・黒海石油産業貿易会社は自社製品の輸出と共に、ロシア帝国の石油会社約50社の灯油の委託販売を開始し、鉄道へ300両の自社製タンク貨車を納入する。元々600両の納入許可を得ていたが、需要を満たせないと見積もり、追加で1,500両を納入する為に、小規模製油業者各社へ5年以内・年利6%の返済を条件に2,000,000ルーブルを貸し付けた。西暦1,888年12月には、灯油を積載した3,932台の貨車の内1,800台をバトゥミで受け取り、同月末時点の同年の灯油輸出量は262,080tに達する。そして西暦1,889年、同商会のバクーからの石油製品輸出は491,400t——西暦1,884年比で12.5倍となった。
西暦1,890年、バクー油田に存在する約144の製油工場で扱われた軽質原油の総量835,380tの内、3/4を僅か13工場が生産していた。其の中でノーベル兄弟産油会社が293,202t、フランス・ロスチャイルド商会が76,986tを占め、両家は協力して石油を売り捌いてゆく。西暦1,891年にはサミュエル商会が、フランス・ロスチャイルド商会系の石油販売会社ブニトと、西暦1,900年迄のロシア灯油の独占販売契約を締結した。西暦1,893年のバクー油田の製油所は69基。西暦1,898年、アルフォンス・ド・ロスチャイルドは「マズット貿易・輸送会社」を設立し、ニジニ・ノヴゴロド・サマーラ・ツァリーツィン・アストラハン・リガ・ヴィーツェプスク・ワルシャワの各支店へ石油製品の納入を開始する。同社は其の後、カスピ海だけで13隻のタンカーを保有する最大の石油輸出組合へと成長した。
西暦1,899年4月迄に、ニジニ・ノヴゴロドの石油貯蔵倉庫には145,782tの石油が保管され、主な保管者はノーベル兄弟産油会社の48,484.8tとマズット貿易・輸送会社の47,502tであった。西暦1,900年、ロシア帝国内の全石油工場の約10%に当たる7系列が、灯油の累積総生産量368,550,000tの約68%を占める。首位はノーベル兄弟産油会社で、以下カスピ海協会、資産家ハジ・ゼイナラブディン・タギエフ、バクー石油会社、アルフォンス・ド・ロスチャイルド、ムサ・ナギエフ、シャムシ・アサドゥラエフと続いた。翌西暦1,901年6月のロシア帝国の石油生産量は、ノーベル兄弟産油会社93,366t、カスピ海・黒海石油産業貿易会社63,882t、バクー石油協会55,692tという分布であった。
此の油田には、もう1人の主役が居る。西暦1,901年11月、ヨシフ・スターリンがマルクス主義政党ロシア社会民主労働党のトビリシ委員会委員に選出され、同月バトゥミへ入った。彼が雇用されたのは、フランス・ロスチャイルド商会が経営する製油所である。スターリンは其処で2度の労働者ストライキを共謀して実行し、首謀者の内数名が逮捕された後には大規模な抗議デモを組織した。デモ隊が監獄を襲撃した事でロシア帝国軍が発砲し、13名が死亡する。其の犠牲者達の葬儀の当日、彼は再度抗議デモを実行した。同年12月にはシェル運輸貿易会社がスタンダード・オイルとの提携交渉を打ち切り、オランダ領東インド石油開発会社と提携する。西暦1,902年、モスクワ石油工業会がフランス・ロスチャイルド商会のバックアップにより、グロズヌイ・クバーニ地方・マイコープでの油田探査・開発を行い、同年4月、スターリンはロシア帝国当局に逮捕されてバトゥミ監獄に収容され、其の後クタイシ監獄へ移された。
西暦1,903年、ロバート・ノーベルと、ルートヴィヒの息子イマヌエル・ノーベルは、マズット貿易・輸送会社との間で、ロシア帝国の石油の国外輸出に関する「ノブマズット」と呼ばれるカルテル協定を結ぶ。同年6月、スターリンには3年間の東シベリアへの流刑が宣告された。10月にバトゥミを発ち、11月30日にノヴァヤ・ウダへ到着。其の後脱走を試みるがバラガンスクで凍傷に遭って引き返し、失敗に終わる。西暦1,904年1月、再度の脱走は成功し、彼はトビリシへ帰還してフィリップ・マハラゼと共に党機関紙「プロレタリアティス・ブルゾラ」を共同編集した。そして同年12月26日、1日14〜16時間の労働が常態化していたバクー油田の労働者が、ストライキを起こす。労働者組合と言論の自由、ロシア憲法、制定議会の即時召集、日曜日の休業、サービス残業の禁止、3シフト制の即時導入、罰金の禁止——要求は12項目に及んだ。西暦1,905年1月13日、ストライキは終了する。夜勤と掘削隊の労働時間は8時間、其れ以外は9時間、給与は80カペイカから1ルーブルへ引き上げられ、月4日の有給休暇が導入された。石油が噴き上がった地で、油田を握った者と、其処で働いた者の双方の三十二年を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- ロバート・ノーベル 西暦1,873年3月にバクーを訪れ、ビビ・エイバート油田と当地の製油所を購入して石油事業を開始した人物。西暦1,875年にバラハニ油田を購入し、翌年には25,000ルーブルを出資してバクーに石油の蒸留所を設立する。西暦1,879年5月18日、其の蒸留所を基にルートヴィヒと共にノーベル兄弟産油会社を設立した。西暦1,903年には、イマヌエル・ノーベルと共にマズット貿易・輸送会社とノブマズット協定を結んでいる。
- ルートヴィヒ・ノーベル 西暦1,876年に石油事業へ参加。石油生産ではなく石油輸送に着目し、バラハニ油田から製油所までの15kmに及ぶパイプラインを敷設した。船倉にタンクを作り直接石油を詰め込む「タンカー」という輸送手段を考案してスウェーデンの造船会社に発注し、西暦1,878年に世界初の石油タンカー船ゾロアスター号を完成させる。ノーベル兄弟産油会社では53.7%の株式を保有する筆頭株主であった。
- アルフレッド・ノーベル 西暦1,879年5月18日に設立されたノーベル兄弟産油会社の株主の1人で、株式資本の3.8%を保有した。
- イマヌエル・ノーベル ルートヴィヒ・ノーベルの息子。西暦1,903年、ロバート・ノーベルと共に、マズット貿易・輸送会社との間でロシア帝国の石油の国外輸出に関するカルテル協定「ノブマズット」を締結した。
- ピーター・フォン・ビルダーリング男爵 西暦1,876年、バクーの石油の蒸留所へ300,000ルーブルを出資した最大の出資者。ノーベル兄弟産油会社でも31%の株式を保有し、ルートヴィヒ・ノーベルに次ぐ第2位の株主であった。
- スタンダートスキョルド男爵 西暦1,876年、ロバート・ノーベル・ピーター・フォン・ビルダーリング男爵と共にバクーの石油の蒸留所へ共同出資した3名の1人。出資額は150,000ルーブルであった。
- I.J.ザベルスキフ ノーベル兄弟産油会社の株主の1人。株式資本の4.7%を保有し、アルフレッド・ノーベルやロバート・ノーベルを上回る第3位の持分であった。
- アレクサンドル・フォン・ビルダーリング男爵 ノーベル兄弟産油会社の株主の1人で、株式資本の1.7%を保有した。
- アルフォンス・ド・ロスチャイルド 西暦1,883年5月16日、トランスコーカサス鉄道に対する融資と引き換えにバクーの石油権益を獲得し、カスピ海・黒海石油産業貿易会社を設立した人物。6,000,000ルーブルと25,000,000フランの初期資本をロシア帝国の金庫に納め、135社の小規模製油業者から灯油を買い取ってロシア灯油の最大輸出業者となる。バクー・パリ・サンクトペテルブルクの3箇所で情報を収集し、バクー・グロズヌイ・マイコープ・トルクメニスタンに地位を築いた。西暦1,898年にはマズット貿易・輸送会社を設立している。
- ハジ・ゼイナラブディン・タギエフ バクー-バトゥミ間の石油パイプライン設置を検討し始めた人間の1人。西暦1,900年時点で、ロシア帝国の灯油の累積総生産量の約68%を占めた7系列の中に、資産家として39,312tで名を連ねている。
- ムサ・ナギエフ バクー-バトゥミ間の石油パイプライン設置を検討し始めた人間の1人。西暦1,900年時点の灯油生産では24,570tを占め、アルフォンス・ド・ロスチャイルドと同量であった。
- イワン・イリモフ 西暦1,883年のトランスコーカサス鉄道完成後、バクー-バトゥミ間の石油パイプライン設置を検討し始めた人間の1人。
- アレクサンダー・ベンケンドルフ 西暦1,883年のトランスコーカサス鉄道完成後、バクー-バトゥミ間の石油パイプライン設置を検討し始めた人間の1人。
- S・バギロフ 西暦1,883年のトランスコーカサス鉄道完成後、バクー-バトゥミ間の石油パイプライン設置を検討し始めた人間の1人。
- シャムシ・アサドゥラエフ 西暦1,900年時点で、ロシア帝国の灯油の累積総生産量の約68%を占めた7系列の1つ。生産量は19,656tで、7系列の中では最少であった。
- ヨシフ・スターリン 西暦1,901年11月、ロシア社会民主労働党のトビリシ委員会委員に選出され、同月バトゥミへ入る。フランス・ロスチャイルド商会が経営する製油所で雇用され、2度の労働者ストライキを共謀して実行した。監獄を襲撃したデモ隊にロシア帝国軍が発砲し13名が死亡した後も、葬儀の当日に再度デモを実行している。西暦1,902年4月に逮捕され、翌年6月に3年間の東シベリアへの流刑を宣告されたが、西暦1,904年1月に脱走に成功してトビリシへ帰還した。
- フィリップ・マハラゼ ロシア社会民主労働党党員。西暦1,904年、流刑地から脱走してトビリシへ帰還したヨシフ・スターリンと共に、同党の機関紙「プロレタリアティス・ブルゾラ」の共同編集を行った。
主要な概念・組織
- バクー ロシア帝国の都市で、現在のアゼルバイジャン。西暦1,873年に最初の油井が噴出し、本書が追う三十二年の舞台となる。西暦1,890年には約144の製油工場が存在し、西暦1,893年の製油所は69基であった。
- ビビ・エイバート油田 西暦1,873年3月、ロバート・ノーベルが当地の製油所と共に購入した油田。ノーベル家の石油事業は此処から始まった。
- バラハニ油田 西暦1,875年にロバート・ノーベルが購入した油田。翌年、ルートヴィヒ・ノーベルは此の油田から製油所までの15kmに及ぶパイプラインを敷設した。
- ノーベル兄弟産油会社 西暦1,879年5月18日、ロバートとルートヴィヒのノーベル兄弟が、サンクトペテルブルクに本社を置く持株会社として設立した会社。西暦1,890年にはバクーの軽質原油835,380tの内293,202tを生産し、西暦1,900年の灯油の累積総生産量でも首位を占めた。
- ゾロアスター号 ルートヴィヒ・ノーベルがスウェーデンの造船会社に発注し、西暦1,878年に完成した世界初の石油タンカー船。船倉にタンクを作り、直接石油を詰め込むという発想から生まれた。
- フランス・ロスチャイルド商会 トランスコーカサス鉄道に出資し、其の完成を通じてバクーの石油へ食い込んだ商会。西暦1,884年のバクーからの石油製品輸出は39,312tであったが、西暦1,889年には491,400tと12.5倍に伸びた。西暦1,902年にはモスクワ石油工業会の油田探査をバックアップしている。
- トランスコーカサス鉄道 フランス・ロスチャイルド商会が出資し、西暦1,883年に完成した、バクーからコーカサス山中を縦断してバトゥミに至る鉄道。西暦1,884年には91,728tの石油製品を運び、後にカスピ海・黒海石油産業貿易会社の自社製タンク貨車が投入された。
- カスピ海・黒海石油産業貿易会社 西暦1,883年5月16日、アルフォンス・ド・ロスチャイルドが鉄道への融資と引き換えに得たバクーの石油権益を基に設立した会社。西暦1,887年からはロシア帝国の石油会社約50社の灯油の委託販売を開始し、小規模製油業者へ2,000,000ルーブルを貸し付けてタンク貨車の増備を図った。
- マズット貿易・輸送会社 西暦1,898年にアルフォンス・ド・ロスチャイルドが設立し、カスピ海・黒海石油産業貿易会社の7支店へ石油製品の納入を開始した会社。カスピ海だけで13隻のタンカーを保有する最大の石油輸出組合へと成長した。
- ノブマズット 西暦1,903年、ロバート・ノーベル及びイマヌエル・ノーベルと、マズット貿易・輸送会社との間で結ばれたカルテル協定。ロシア帝国の石油の国外輸出を対象とし、ノーベル家とロスチャイルド家の協力体制を制度として固めた。
- サミュエル商会 西暦1,891年、フランス・ロスチャイルド商会系の石油販売会社ブニトと、西暦1,900年迄のロシア灯油の独占販売契約を締結した商会。
- ブニト フランス・ロスチャイルド商会系の石油販売会社。西暦1,891年、サミュエル商会とロシア灯油の独占販売契約を結んだ。
- シェル運輸貿易会社 西暦1,901年12月、スタンダード・オイルとの提携交渉を打ち切り、オランダ領東インド石油開発会社との提携へ舵を切った会社。
- オランダ領東インド石油開発会社 西暦1,901年12月、スタンダード・オイルとの交渉を打ち切ったシェル運輸貿易会社と提携した会社。
- カスピ海協会 西暦1,900年時点で、ロシア帝国の灯油の累積総生産量の約68%を占めた7系列の1つ。生産量は57,330tで、ノーベル兄弟産油会社に次ぐ位置に在った。
- バクー石油会社 西暦1,900年時点の灯油生産で27,846tを占めた会社。翌西暦1,901年6月のロシア帝国の石油生産量では、バクー石油協会が55,692tで第3位に位置している。
- モスクワ石油工業会 西暦1,902年、フランス・ロスチャイルド商会のバックアップにより、グロズヌイ・クバーニ地方・マイコープでの油田探査・開発を行った団体。
- ロシア社会民主労働党 マルクス主義政党。西暦1,901年11月、ヨシフ・スターリンが其のトビリシ委員会委員に選出された。機関紙「プロレタリアティス・ブルゾラ」を発行している。
- プロレタリアティス・ブルゾラ ロシア社会民主労働党の機関紙。西暦1,904年、流刑地からトビリシへ帰還したヨシフ・スターリンが、フィリップ・マハラゼと共に共同編集を行った。
- バクー油田労働者ストライキ 西暦1,904年12月26日、1日14〜16時間の労働が常態化していたバクー油田の労働者が起こしたストライキ。労働者組合と言論の自由、ロシア憲法、制定議会の即時召集、3シフト制の導入、罰金の禁止等12項目を要求し、西暦1,905年1月13日、労働時間の8〜9時間化、給与の80カペイカから1ルーブルへの引き上げ、月4日の有給休暇の導入を勝ち取って終結した。
最初の油井から労働者ストライキの妥結まで──
バクー油田の利権と、其処で育った若き日のスターリンの全軌跡を一元化。
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