電子書籍「731部隊のペスト菌・コレラ菌・チフス菌散布一元化」の表紙

731部隊のペスト菌・コレラ菌・チフス菌散布一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,940年6月4日〜1,942年8月27日
最新更新日
西暦2,026年1月24日

731部隊の農安(現中国吉林省長春市)5gペスト感染蚤(ケオプスネズミノミ)地上散布と1次感染8名・2次感染607名死亡、農安-大賚(現中国吉林省白城市大安市)間10gペスト感染蚤地上散布と1次感染12名・2次感染2,424名死亡、農安医院医師ペスト発病死亡と731部隊ペスト班責任者高橋正彦の腺腫からのペスト菌分離・現地ペスト菌保有鼠移動調査、満洲国民生部衛生保健司の新京(現中国吉林省長春市)防疫班派遣と5ヶ所大隔離区・十数ヶ所小隔離区封鎖、農安死者120名超、731部隊・南京栄1644部隊の筧橋(現中国浙江省杭州市上城区)中国国民党中央航空学校接収と浙江省細菌攻撃拠点化、新京初ペスト患者発生と防疫会議南広場・東3条通・曙町・日本橋通三角地域交通遮断消毒駆除失敗、衢県(現中国浙江省衢州市)8,000gペスト感染蚤穀物空中散布と鼠経由人間感染機序・1次感染219名2次感染9,060名死亡、731部隊「関東軍臨時ペスト防疫隊」新京到着とペスト流行阻止宣言、防疫本部廃止と石井四郎本部長「関東軍臨時ペスト防疫隊本部」国防会館設置・60名57名160名別働隊452名陣容及び関東軍参謀部・憲兵隊司令部・新京憲兵隊・満洲国総務局・新京市・警察・満洲国協和会・赤十字社・南満洲鉄道新京支社・新京駐屯軍防疫態勢、第12代関東軍参謀長飯村穣のトラック15台大型乗用車10台提供と関東軍臨時防疫隊農安派遣隊千数百名派遣・農安33,000名中11,000名逃亡265名発病、衢県大量死鼠発見、新京千早医院解剖室菌検査室危険化と馬疫研究所解剖開始、731部隊の新京撤退準備宣言と寧波(現中国浙江省)2,000gペスト感染蚤小麦粒6:47・14:20二回空中散布及び1次感染104名2次感染1,450名死亡、寧波初ペスト患者・死者発生と防疫措置封鎖・衛生院検査患者確認・臨時防疫所隔離病院設置、731部隊新京撤退決定と衢県腺ペスト診断・防疫委員会設置・日本軍空襲によるペスト患者封鎖地区脱出近隣農村疎開拡大、新京流行終息28名累計と78名臓器肺肝臓腎臓本部直接持帰り又は満洲国立衛生技術廠培養経由本部送付、金華(現中国浙江省)ペスト生菌顆粒空中散布とグラム染色陰性桿菌発見・地上落下迄菌死滅未流行、浙江省衛生試験所所員金華到着・関東軍臨時防疫隊農安派遣隊撤退と死者48名解剖回付、寧波流行地区全家屋115戸焼払と衢県防疫協力浙江省衛生所所長金華到着繁殖能力喪失ペスト菌確認、寧波流行終息109名死亡・衢県患者25名24名死亡・731部隊散布ペスト菌流行終息298名死亡54名治癒2名入院継続、衢県防疫委員会10戸67.266m焼却、金子順一731部隊離脱日本帰国、衢県ペスト第2波到来と衛生署博士ロバート・ポリッツァー衢県派遣、日本陸軍参謀本部井本熊男南京到着・第15代日本陸軍参謀総長杉山元の常徳細菌散布作戦発動命令、731部隊航空班増田美保九七式軽爆撃機操縦常徳(現中国湖南省)到着と南京栄1644部隊長大田澄指揮による1,600gペスト感染蚤粟綿紙羊毛繊維顆粒濃霧低空空中散布及び100名作戦参加50名731部隊・1次感染310名2次感染2,500名死亡・広徳病院塗沫標本グラム染色陰性桿菌ペスト菌判明、常徳県衛生院防護団国民革命軍警機関広徳病院会合と防疫手段直執ペスト隔離病院設置進言耒陽衛生所電報要請、常徳初患者広徳病院到着死亡3名死亡・湖南常徳ペスト調査隊貴陽(現中国貴州省)出発常徳到着解剖細菌培養動物接種真性腺ペスト敗血性感染死亡判明・1,941年11月4日日本軍投下ペスト感染蚤伝染源結論報告書、衢県第2波終息281名274名死亡・ポリッツァー常徳到着衛生所所長報告書提出と保菌状態鼠大量存在第2波危険性指摘、常徳第2波到来と終息少なくとも31名死者、731部隊の広信・広豊・玉山(全て現中国江西省上饒市)131gペスト感染蚤地上散布及びペスト菌注射鼠放流・ペスト乾燥菌付着米散布米鼠蚤人間経路感染狙・1次感染42名2次感染9,210名死亡、731部隊の江山(現中国浙江省衢州市)・常山(現中国浙江省衢州市)井戸食物果物注射コレラ菌散布及び麗水(現中国浙江省)チフス菌ペスト感染蚤散布迄──
731部隊の農安5gペスト感染蚤地上散布を起点に、農安-大賚10g地上散布・衢県8,000g空中散布・新京流行・関東軍臨時ペスト防疫隊本部国防会館設置・寧波2,000g空中散布・金華生菌顆粒不発・常徳1,600g増田美保九七式軽爆撃機空中散布・大田澄指揮南京栄1644部隊連携・湖南常徳ペスト調査隊報告書・ロバート・ポリッツァー第2波警告・常徳第2波・広信広豊玉山131g地上散布及び感染米放鼠・江山常山井戸コレラ・麗水チフスペストに至った、石井四郎指揮731部隊2年3ヶ月に亘る中国各地26,000名超殺害と細菌散布の系譜を年月日単位で追跡した一冊。

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本書について

西暦1,940年6月4日、731部隊が、農安(現在の中国吉林省長春市)にて、5gのペストに感染した蚤(ケオプスネズミノミ)を地上で散布した。結果、1次感染による死者は8名、2次感染による死者は607名であった。又、此の日から同月7日にかけて、731部隊は、農安-大賚(現在の中国吉林省白城市大安市)間にて、10gのペストに感染した蚤を地上で散布し、1次感染による死者は12名、2次感染による死者は2,424名であった。同月17日、農安医院の裏に住む者1名がペストにより死亡した。同月30日、6月17日に死亡した農安医院の裏に住む者を含む、急性疾患で死亡した数名を診察した農安医院の医師がペストを発病した。同年7月2日、6月30日にペストを発病した農安医院の医師が死亡し、731部隊のペスト班の責任者であった高橋正彦が其の医師の腺腫からペスト菌を分離した。又、高橋は、現地のペスト菌を保有した鼠の移動を調査した。同月12日、満洲国民生部衛生保健司が、農安でのペスト流行を受け、新京(現在の中国吉林省長春市)から防疫班を派遣した。翌13日、防疫班が農安に到着し、5ヶ所の大隔離区と十数ヶ所の小隔離区に区分し、封鎖を実行した。同月15日、高橋正彦が、ペスト患者の腺腫からペスト菌を分離した。同年8月14日時点で、農安のペストによる死者は120名を超えていた。

西暦1,940年9月、①731部隊②南京栄1644部隊が、筧橋(現在の中国浙江省杭州市上城区)の中国国民党中央航空学校を接収した。以降浙江省への細菌攻撃の拠点となった。同月23日、新京で初めてペスト患者が発生した。同年10月1日、新京でのペスト流行を防ぐ為、①満洲国警務機関②満洲国衛生機関③満洲国軍④満洲鉄道⑤満洲国赤十字社が防疫会議を開いた。防疫本部を設置し、患者が集中していた①南広場②東3条通③曙町④日本橋通の三角地域の交通を遮断し、同地の消毒と鼠・蚤の駆除を試みたが、失敗した。同月4日、731部隊が、衢県(現在の中国浙江省衢州市)にて、8,000gのペストに感染した蚤を空中から穀物と共に散布した。結果、1次感染による死者は219名、2次感染による死者は9,060名であった。穀物を食べに来た鼠に蚤が集り、鼠がペストに感染、其処から人間に広がっていくという機序であった。同月7日、731部隊が、新京に到着して「関東軍臨時ペスト防疫隊」と名乗り、ペスト流行を阻止すると宣言した。

西暦1,940年10月10日、731部隊が防疫本部を廃止し、本部長を石井四郎とした「関東軍臨時ペスト防疫隊本部」を国防会館に設置した。陣容は①731部隊員・数ヶ所の陸軍病院から派遣された軍医・衛生将校60名②衛生下士官57名③衛生兵160名④別働隊452名であった。別働隊は、ペスト患者や、ペストの疑いが有る者を、伝染病棟である新京千早医院や寛城子に在る臨時隔離所に収容し、ペスト菌検査を行った。更に、病理解剖隊による解剖学的検査・病理組織学的検査が行われた。又、連日石井の主宰で、国防会館にて防疫会議が開かれ、主に①関東軍参謀部②関東憲兵隊司令部③新京憲兵隊④満洲国総務局⑤新京市⑥警察⑦満洲国協和会⑧満洲国赤十字社⑨南満洲鉄道新京支社⑩新京駐屯軍が参加し、軍官民が三位一体となって防疫態勢を敷いた。同月19日、731部隊が、新京でのペスト流行の発生源を農安であると捉え、千数百名の「関東軍臨時防疫隊農安派遣隊」を新京から農安へ派遣した。又、第12代関東軍参謀長飯村穣が、南満洲鉄道総局に指示し、防疫隊にトラック15台・大型乗用車10台を提供した。関東軍臨時防疫隊農安派遣隊の目的は①ペスト菌株の収集②ペストの発生と伝播の機序の解析であった。翌20日、関東軍臨時防疫隊農安派遣隊が農安に到着した。此の時既に、農安の人口33,000名の内11,000名が逃亡し、265名がペストを発病していた。

西暦1,940年10月21日、衢県にて大量の死んだ鼠が発見された。同月26日、新京千早医院の解剖室や菌検査室が危険な状況となった為、此の日から馬疫研究所でも解剖が行われ始めた。同月27日、731部隊が、新京のペスト流行が終息していないにも拘らず、新京からの撤退準備を宣言した。同日、731部隊が、寧波(現在の中国浙江省)にて、2,000gのペストに感染した蚤を空中から、小麦の粒と共に、6:47と14:20の2回散布した。結果、1次感染による死者は104名、2次感染による死者は1,450名であった。同月29日、寧波にて最初のペスト患者が発生し、同月31日に最初のペストによる死者が発生した。同年11月2日、寧波で防疫措置が執られ、流行地区が封鎖された。同月4日、寧波衛生院が、検査によりペスト患者を確認した。同月6日、寧波にて臨時防疫所が設置され、又、ペスト流行地区内に隔離病院も設置された。同月7日、731部隊が、新京からの撤退を決定した。同月12日、衢県にてペストが流行し始めた。同月13日、新京でのペスト流行が終息した。西暦1,940年9月23日に初めてペスト患者が発生してから累計で28名のペスト患者が発生した。731部隊は、新京でペストに感染した者78名の肺・肝臓・腎臓等の臓器を取り出し、731部隊の本部へ直接持ち帰ったり、シャーレの培地に塗り、満洲国立衛生技術廠で培養してから、731部隊の本部へ送られる等した。

西暦1,940年11月20日、衢県衛生院で腺ペストの診断が下った患者が発生した。同月22日、衢県にて「ペスト防疫委員会」が設置され、ペストが流行している地区が警官によって封鎖された。然し、後に日本軍の空襲により、封鎖地区からペスト患者が逃げ出し、住民も周辺の農村に疎開した為、ペストが近隣の農村にまで拡大した。同月27日から翌日にかけて、731部隊が、金華(現在の中国浙江省)にペスト生菌を含んだ顆粒を空中から散布した。顆粒を検査した所、グラム染色により陰性桿菌が発見され、ペスト菌の疑いが持ち上がった。生菌であった為、地上に落下するまでにペスト菌が死滅する為、ペストは流行しなかった。同月29日、浙江省衛生試験所の所員が金華に到着した。同月30日、関東軍臨時防疫隊農安派遣隊が、農安でのペスト流行が終息していないにも拘らず、農安から撤退した。最終的に、ペストによる死者48名の死体は解剖に回された。同日夜、寧波のペスト流行地区内の全家屋115戸が焼き払われた。又、衢県で防疫に協力していた浙江省衛生所所長が金華に到着し、顆粒を持ち帰って培養した所、繁殖能力を失ったペスト菌が確認された。同年12月2日、寧波のペスト流行が終息した。死者は109名であった。同月7日時点で衢県のペスト患者が25名となり、24名が死亡した。同月13日、731部隊が散布したペスト菌によるペスト流行が終息した。此の時点でペスト患者は、判明しているだけで①死亡298名②治癒54名③入院継続2名であった。同月22日から3日間、衢県のペスト防疫委員会が、10戸67.266mを焼却した。

西暦1,941年1月、金子順一が731部隊を離れ、日本に帰国した。同年3月1日、衢県にてペストの第2波が到来した。同年6月、ペストの防疫の為に、衛生署から博士ロバート・ポリッツァーが衢県に派遣された。同年8月11日、日本陸軍参謀本部井本熊男が、南京に到着した。同年9月16日、第15代日本陸軍参謀総長杉山元が、常徳への細菌散布作戦の発動を命じた。同年11月4日6:50、731部隊航空班増田美保が九七式軽爆撃機を操縦し、常徳(現在の中国湖南省)に到着した。其の後南京栄1644部隊隊長大田澄の指揮により、常徳にて、1,600gのペストに感染した蚤を、濃霧の中を低空飛行で空中から①粟等の穀物②綿紙③羊毛の繊維④顆粒と共に散布した。綿紙は、蚤が落下中に分散するのを防ぐ役割があった。作戦の参加者は100名で、50名程度が731部隊であった。結果、1次感染による死者は310名、2次感染による死者は2,500名であった。17:00に警報が解除され、其の後投下物の一部が収集され、広徳病院にて検査された。其の結果、穀物類のサンプルから作られた塗沫標本から、グラム染色により両端が着色した、陰性桿菌が発見され、ペスト菌である事が判明した。

西暦1,941年11月5日朝、前日の広徳病院での検査でペスト菌が発見された事を受け、①常徳県衛生院②防護団③国民革命軍警機関④広徳病院で会合が開かれた。広徳病院の医師が①防疫手段を直ちに執る②ペスト患者用の隔離病院の設置の2点を進言し、ペストの専門家の派遣を要請する電報を耒陽(現在の中国湖南省衡陽市)衛生所に打ったものの、初動が遅れ、再度要請を行った。同月12日、常徳の最初のペスト患者が、広徳病院に到着した。翌13日、常徳の最初のペスト患者が死亡した。此の日と翌日で、此の患者を含む3名がペストで死亡した。同月20日、「湖南常徳ペスト調査隊」が組織され、貴陽(現在の中国貴州省)から常徳へ向けて出発した。同月24日、湖南常徳ペスト調査隊が常徳に到着した。翌25日、湖南常徳ペスト調査隊が、前日死亡したペスト患者の解剖を行った。細菌培養・動物接種等の実験の結果、真性腺ペストに罹り、敗血性感染により死亡した事が判明した。同年12月、衢県でのペスト流行が終息した。同県での本年のペスト患者は281名で、内274名が死亡した。同月2日、湖南常徳ペスト調査隊が、常徳のペスト流行が終息したと見做し、貴陽へ向けて出発した。同月6日、湖南常徳ペスト調査隊が、貴陽に到着した。同月12日、湖南常徳ペスト調査隊が、常徳での活動を報告書に纏めた。①常徳で確かに腺ペストが流行した②ペストの伝染源は西暦1,941年11月4日に日本軍が投下したペストに感染した蚤であるの2点を結論として出した。同月21日、ロバート・ポリッツァーが、常徳に到着した。同月30日、ロバート・ポリッツァーが、常徳衛生所所長に報告書を提出した。内容は、西暦1,941年12月12日に湖南常徳ペスト調査隊が提出した報告書をベースとしているが、人間に感染するに至る機序の中で、湖南常徳ペスト調査隊が否定した、鼠が保菌状態にある事に着目した。其の後、保菌状態にある鼠が大量に存在している事が調査から分かり、ポリッツァーは第2波の危険性を指摘した。

西暦1,942年3月29日、常徳にてペスト流行の第2波が到来した。同年7月、常徳にてペスト流行の第2波が終息した。此れによる死者は少なくとも31名存在した。同年8月19日、731部隊が、此の日から同月21日に掛けて、①広信(現在の中国江西省上饒市)②広豊(現在の中国江西省上饒市)③玉山(現在の中国江西省上饒市)の3ヶ所にて、131gのペストに感染した蚤を地上で散布した。広信ではペスト菌を注射した鼠も放し、玉山では鼠を放し、ペストの乾燥菌を付着させた米も散布した。米→鼠→蚤→人間への経路での感染を狙った。結果、1次感染による死者は42名、2次感染による死者は9,210名であった。同月27日、731部隊が、①江山(現在の中国浙江省衢州市)にコレラ菌を井戸に直接入れる・食物に付着させる・果物に注射する等した②常山(現在の中国浙江省衢州市)にコレラ菌を井戸に直接入れる・食物に付着させる・果物に注射する等した③麗水(現在の中国浙江省)にチフス菌とペストに感染した蚤を散布する細菌散布を行った。本書は、此の2年3ヶ月に亘る、731部隊の農安5gペスト感染蚤地上散布と1次2次感染死者を起点とする、農安-大賚10g地上散布、農安医院医師ペスト発病死亡と高橋正彦腺腫ペスト菌分離、満洲国民生部衛生保健司新京防疫班派遣、731部隊・南京栄1644部隊の筧橋中国国民党中央航空学校接収と浙江省細菌攻撃拠点化、衢県8,000g穀物空中散布と鼠経由感染機序、関東軍臨時ペスト防疫隊本部国防会館設置と石井四郎本部長就任、第12代関東軍参謀長飯村穣の輸送車両提供と農安派遣隊、寧波2,000g小麦粒2回空中散布と全家屋115戸焼払、金華ペスト生菌顆粒空中散布の地上落下迄菌死滅未流行、新京流行終息と78名臓器持帰り、衢県防疫委員会10戸67.266m焼却と第1波終息298名死亡、金子順一731部隊離脱、衢県第2波と衛生署博士ロバート・ポリッツァー派遣、井本熊男南京到着と第15代日本陸軍参謀総長杉山元の常徳細菌散布作戦発動命令、731部隊航空班増田美保九七式軽爆撃機操縦常徳到着と南京栄1644部隊長大田澄指揮による1,600gペスト感染蚤粟綿紙羊毛繊維顆粒濃霧低空空中散布及び広徳病院塗沫標本ペスト菌判明、湖南常徳ペスト調査隊真性腺ペスト敗血性感染死亡判明と日本軍投下ペスト感染蚤伝染源結論報告書、ロバート・ポリッツァー保菌状態鼠第2波危険性指摘、常徳第2波到来と少なくとも31名死亡終息、広信・広豊・玉山131gペスト感染蚤地上散布及びペスト乾燥菌付着米散布米鼠蚤人間経路感染、江山・常山コレラ菌井戸食物果物注射・麗水チフス菌ペスト感染蚤散布に至るまで、石井四郎指揮731部隊の2年3ヶ月に亘る中国各地26,000名超殺害と細菌散布の全過程を、年月日単位で記録した年表である。


登場人物

  • 石井四郎 本書の中心人物。731部隊の指揮官。西暦1,940年10月10日、防疫本部を廃止し、自身が本部長となる「関東軍臨時ペスト防疫隊本部」を新京の国防会館に設置。陣容は①731部隊員・陸軍病院派遣軍医・衛生将校60名②衛生下士官57名③衛生兵160名④別働隊452名で、連日自らの主宰で国防会館にて防疫会議を開き、関東軍参謀部・関東憲兵隊司令部・新京憲兵隊・満洲国総務局・新京市・警察・満洲国協和会・赤十字社・南満洲鉄道新京支社・新京駐屯軍参加の軍官民三位一体防疫態勢を敷いた。本書が記録する2年3ヶ月の中国各地26,000名超殺害と細菌散布の指揮系統の頂点。
  • 高橋正彦 731部隊ペスト班の責任者。西暦1,940年7月2日、農安医院でペスト発病死亡した医師の腺腫からペスト菌を分離。又、現地のペスト菌を保有した鼠の移動を調査した。同月15日、ペスト患者の腺腫から再度ペスト菌を分離した。
  • 飯村穣 第12代関東軍参謀長。西暦1,940年10月19日、731部隊が新京でのペスト流行の発生源を農安と捉え千数百名の「関東軍臨時防疫隊農安派遣隊」を派遣した際、南満洲鉄道総局に指示し、防疫隊にトラック15台・大型乗用車10台を提供した。派遣隊の目的は①ペスト菌株の収集②ペストの発生と伝播の機序の解析であった。
  • 金子順一 731部隊員。西暦1,941年1月、731部隊を離れ、日本に帰国した。
  • ロバート・ポリッツァー 博士。西暦1,941年6月、ペストの防疫の為に、衛生署から衢県に派遣された。同年12月21日、常徳に到着。同月30日、常徳衛生所所長に報告書を提出した。内容は西暦1,941年12月12日の湖南常徳ペスト調査隊報告書をベースとするが、湖南常徳ペスト調査隊が否定した、鼠が保菌状態にある事に着目。其の後、保菌状態の鼠が大量に存在している事が調査から分かり、第2波の危険性を指摘した。其の指摘通り、西暦1,942年3月29日に常徳第2波が到来した。
  • 井本熊男 日本陸軍参謀本部の人物。西暦1,941年8月11日、南京に到着した。
  • 杉山元 第15代日本陸軍参謀総長。西暦1,941年9月16日、常徳への細菌散布作戦の発動を命じた。
  • 増田美保 731部隊航空班員。西暦1,941年11月4日6:50、九七式軽爆撃機を操縦し、常徳(現中国湖南省)に到着。その後南京栄1644部隊長大田澄の指揮の下、1,600gのペスト感染蚤を粟等の穀物・綿紙・羊毛の繊維・顆粒と共に、濃霧の中を低空飛行で空中から散布した。綿紙は蚤が落下中に分散するのを防ぐ役割があった。作戦の参加者は100名で、50名程度が731部隊であった。結果、1次感染による死者は310名、2次感染による死者は2,500名であった。
  • 大田澄 南京栄1644部隊隊長。西暦1,941年11月4日、増田美保の常徳到着後、自身の指揮により、1,600gのペスト感染蚤を粟・綿紙・羊毛の繊維・顆粒と共に空中散布する作戦を遂行した。

主要な概念・組織

  • 農安5g・農安-大賚10g地上散布 西暦1,940年6月4日、731部隊が、農安(現中国吉林省長春市)にて、5gのペストに感染した蚤(ケオプスネズミノミ)を地上で散布。1次感染8名・2次感染607名死亡。又、此の日から同月7日にかけて、農安-大賚(現中国吉林省白城市大安市)間にて、10gのペスト感染蚤を地上散布。1次感染12名・2次感染2,424名死亡。本書の細菌散布系譜の起点。同月17日に農安医院裏住人1名死亡、同月30日に医院医師ペスト発病、7月2日に同医師死亡し高橋正彦が腺腫からペスト菌分離。8月14日時点で死者は120名超に達した。
  • 満洲国民生部衛生保健司・新京防疫班 西暦1,940年7月12日、満洲国民生部衛生保健司が、農安でのペスト流行を受け、新京(現中国吉林省長春市)から防疫班を派遣。翌13日に農安到着し、5ヶ所の大隔離区と十数ヶ所の小隔離区に区分し、封鎖を実行した。
  • 筧橋中国国民党中央航空学校接収・浙江省細菌攻撃拠点化 西暦1,940年9月、①731部隊②南京栄1644部隊が、筧橋(現中国浙江省杭州市上城区)の中国国民党中央航空学校を接収。以降、浙江省への細菌攻撃の拠点となった。衢県・寧波・金華・江山・常山・麗水への一連の空中・地上散布作戦の発進基地として機能した。
  • 新京防疫会議・三角地域封鎖失敗 西暦1,940年9月23日に新京で初のペスト患者発生。同年10月1日、新京でのペスト流行を防ぐ為、①満洲国警務機関②満洲国衛生機関③満洲国軍④満洲鉄道⑤満洲国赤十字社が防疫会議を開催。防疫本部を設置し、患者が集中していた①南広場②東3条通③曙町④日本橋通の三角地域の交通を遮断し消毒・鼠蚤駆除を試みたが、失敗した。
  • 衢県8,000g空中散布・鼠経由人間感染機序 西暦1,940年10月4日、731部隊が、衢県(現中国浙江省衢州市)にて、8,000gのペスト感染蚤(ケオプスネズミノミ)を空中から穀物と共に散布。1次感染219名・2次感染9,060名死亡。穀物を食べに来た鼠に蚤が集り、鼠がペストに感染、其処から人間に広がっていくという機序であった。同月21日に大量の死んだ鼠が発見、11月12日にペスト流行開始、11月22日に「ペスト防疫委員会」設置・警官封鎖されるも、日本軍の空襲により封鎖地区からペスト患者が逃げ出し、住民も周辺の農村に疎開した為、ペストが近隣の農村にまで拡大した。同年12月22日から3日間、防疫委員会が10戸67.266mを焼却。同年内累計281名患者・内274名死亡。
  • 関東軍臨時ペスト防疫隊本部・国防会館 西暦1,940年10月7日、731部隊が、新京に到着して「関東軍臨時ペスト防疫隊」と名乗りペスト流行阻止を宣言。同月10日、防疫本部を廃止し、石井四郎を本部長とする「関東軍臨時ペスト防疫隊本部」を国防会館に設置。陣容は①731部隊員・陸軍病院派遣軍医・衛生将校60名②衛生下士官57名③衛生兵160名④別働隊452名。別働隊がペスト患者・疑い者を新京千早医院や寛城子臨時隔離所に収容し菌検査、病理解剖隊が解剖学的・病理組織学的検査を実施。石井主宰で連日防疫会議が開かれ、関東軍参謀部・関東憲兵隊司令部・新京憲兵隊・満洲国総務局・新京市・警察・満洲国協和会・赤十字社・南満洲鉄道新京支社・新京駐屯軍が参加し軍官民三位一体防疫態勢を敷いた。事実上の散布元自身による「防疫」体制で、731部隊は同月27日には新京撤退準備宣言、11月7日に撤退決定、11月13日に新京流行終息(累計28名)を見届けた上で、感染者78名の肺・肝臓・腎臓等の臓器を731部隊本部へ直接持ち帰り、又はシャーレ培地経由で満洲国立衛生技術廠培養後に本部送付した。
  • 寧波2,000g空中散布・全家屋115戸焼払 西暦1,940年10月27日、731部隊が、寧波(現中国浙江省)にて、2,000gのペスト感染蚤を空中から、小麦の粒と共に、6:47と14:20の2回散布。1次感染104名・2次感染1,450名死亡。同月29日に初患者・同月31日に初死者発生、11月2日に防疫措置・封鎖、11月4日に衛生院検査でペスト患者確認、11月6日に臨時防疫所・隔離病院設置、11月30日夜に流行地区内の全家屋115戸が焼き払われ、12月2日に流行終息(死者109名)。
  • 金華ペスト生菌顆粒空中散布・未流行 西暦1,940年11月27日から翌日にかけて、731部隊が、金華(現中国浙江省)にペスト生菌を含んだ顆粒を空中から散布。顆粒を検査した所、グラム染色により陰性桿菌が発見されペスト菌の疑いが持ち上がるも、生菌であった為、地上に落下するまでにペスト菌が死滅し、ペストは流行しなかった。同月29日に浙江省衛生試験所所員が金華到着、11月30日に衢県で防疫に協力していた浙江省衛生所所長が金華到着し顆粒を持ち帰って培養した所、繁殖能力を失ったペスト菌が確認された。
  • 常徳1,600g空中散布・九七式軽爆撃機・南京栄1644部隊連携 西暦1,941年9月16日、第15代日本陸軍参謀総長杉山元が常徳細菌散布作戦発動を命令。同年11月4日6:50、731部隊航空班増田美保が九七式軽爆撃機を操縦し、常徳(現中国湖南省)到着。南京栄1644部隊長大田澄の指揮で、1,600gのペスト感染蚤を①粟等の穀物②綿紙(蚤が落下中に分散するのを防ぐ役割)③羊毛の繊維④顆粒と共に、濃霧の中を低空飛行で空中散布。作戦参加100名・50名程度が731部隊。1次感染310名・2次感染2,500名死亡。17:00警報解除後、投下物の一部が広徳病院で検査され、穀物類サンプルの塗沫標本からグラム染色により両端着色した陰性桿菌が発見、ペスト菌である事が判明した。
  • 湖南常徳ペスト調査隊・伝染源結論 西暦1,941年11月20日、貴陽(現中国貴州省)から常徳へ向けて組織された調査隊。11月24日に常徳到着、11月25日に前日死亡したペスト患者の解剖を実施。細菌培養・動物接種等の実験の結果、真性腺ペストに罹り、敗血性感染により死亡した事が判明。12月2日に貴陽帰途、12月6日に貴陽到着、12月12日に報告書を纏め①常徳で確かに腺ペストが流行した②ペストの伝染源は西暦1,941年11月4日に日本軍が投下したペストに感染した蚤であるの2点を結論した。其の後、ロバート・ポリッツァーが12月21日に常徳到着し、12月30日に常徳衛生所所長に報告書提出。湖南常徳ペスト調査隊が否定した「鼠の保菌状態」に着目し、保菌状態の鼠が大量に存在する事を調査で判明させ、第2波の危険性を指摘した。其の指摘通り西暦1,942年3月29日に常徳第2波到来、同年7月終息・少なくとも31名死亡。
  • 広信・広豊・玉山131g地上散布・感染米放鼠 西暦1,942年8月19日から同月21日に掛けて、731部隊が、①広信(現中国江西省上饒市)②広豊(現中国江西省上饒市)③玉山(現中国江西省上饒市)の3ヶ所にて、131gのペスト感染蚤を地上で散布。広信ではペスト菌を注射した鼠も放し、玉山では鼠を放しペストの乾燥菌を付着させた米も散布。米→鼠→蚤→人間への経路での感染を狙った。1次感染42名・2次感染9,210名死亡。
  • 江山・常山コレラ菌井戸食物果物注射・麗水チフス菌 西暦1,942年8月27日、731部隊が、①江山(現中国浙江省衢州市)にコレラ菌を井戸に直接入れる・食物に付着させる・果物に注射する等した②常山(現中国浙江省衢州市)にコレラ菌を井戸に直接入れる・食物に付着させる・果物に注射する等した③麗水(現中国浙江省)にチフス菌とペストに感染した蚤を散布する細菌散布を行った。本書が記録する石井四郎指揮731部隊2年3ヶ月に亘る中国各地26,000名超殺害と細菌散布の到達点である。

731部隊の農安(現中国吉林省長春市)5gペスト感染蚤地上散布と1次感染8名・2次感染607名死亡、農安-大賚(現中国吉林省白城市大安市)間10gペスト感染蚤地上散布と1次感染12名・2次感染2,424名死亡、農安医院医師ペスト発病死亡と731部隊ペスト班責任者高橋正彦の腺腫ペスト菌分離・鼠移動調査、満洲国民生部衛生保健司新京防疫班派遣と5ヶ所大隔離区封鎖、731部隊・南京栄1644部隊の筧橋中国国民党中央航空学校接収と浙江省細菌攻撃拠点化、新京三角地域封鎖失敗、衢県(現中国浙江省衢州市)8,000gペスト感染蚤穀物空中散布と鼠経由人間感染機序・1次感染219名2次感染9,060名死亡、731部隊「関東軍臨時ペスト防疫隊」新京到着とペスト流行阻止宣言、石井四郎本部長「関東軍臨時ペスト防疫隊本部」国防会館設置と60名57名160名別働隊452名陣容及び関東軍参謀部・憲兵隊・満洲国総務局・新京市・警察・協和会・赤十字社・満洲鉄道新京支社・新京駐屯軍参加防疫態勢、第12代関東軍参謀長飯村穣のトラック15台大型乗用車10台提供と農安派遣隊千数百名派遣・農安33,000名中11,000名逃亡265名発病、寧波(現中国浙江省)2,000gペスト感染蚤小麦粒6:47・14:20二回空中散布と1次感染104名2次感染1,450名死亡・流行地区全家屋115戸焼払・終息109名死亡、新京流行終息28名累計と78名臓器肺肝臓腎臓本部直接持帰り・満洲国立衛生技術廠培養経由本部送付、金華(現中国浙江省)ペスト生菌顆粒空中散布と地上落下迄菌死滅未流行・繁殖能力喪失ペスト菌確認、衢県第1波終息298名死亡54名治癒2名入院継続・防疫委員会10戸67.266m焼却、金子順一731部隊離脱日本帰国・衢県第2波・衛生署博士ロバート・ポリッツァー衢県派遣、日本陸軍参謀本部井本熊男南京到着と第15代日本陸軍参謀総長杉山元の常徳細菌散布作戦発動命令、731部隊航空班増田美保九七式軽爆撃機操縦常徳(現中国湖南省)到着と南京栄1644部隊長大田澄指揮による1,600gペスト感染蚤粟綿紙羊毛繊維顆粒濃霧低空空中散布及び100名作戦参加50名731部隊・1次感染310名2次感染2,500名死亡・広徳病院塗沫標本ペスト菌判明、湖南常徳ペスト調査隊貴陽(現中国貴州省)出発常徳到着真性腺ペスト敗血性感染死亡判明と1,941年11月4日日本軍投下ペスト感染蚤伝染源結論報告書、衢県第2波終息281名274名死亡、ポリッツァー常徳到着衛生所所長報告書提出と保菌状態鼠大量存在第2波危険性指摘、常徳第2波到来と終息少なくとも31名死者、731部隊の広信・広豊・玉山(全て現中国江西省上饒市)131gペスト感染蚤地上散布及びペスト菌注射鼠放流・ペスト乾燥菌付着米散布米鼠蚤人間経路感染狙・1次感染42名2次感染9,210名死亡、731部隊の江山・常山井戸食物果物注射コレラ菌散布及び麗水(現中国浙江省)チフス菌ペスト感染蚤散布迄──
731部隊の農安5gペスト感染蚤地上散布を起点に、農安-大賚10g地上散布・衢県8,000g空中散布・新京流行・関東軍臨時ペスト防疫隊本部国防会館設置・寧波2,000g空中散布・金華生菌顆粒不発・常徳1,600g増田美保九七式軽爆撃機空中散布・大田澄指揮南京栄1644部隊連携・湖南常徳ペスト調査隊報告書・ロバート・ポリッツァー第2波警告・常徳第2波・広信広豊玉山131g地上散布及び感染米放鼠・江山常山井戸コレラ・麗水チフスペストに至った、石井四郎指揮731部隊2年3ヶ月に亘る中国各地26,000名超殺害と細菌散布の系譜を年月日単位で追跡した一冊。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。