中山王国一元化
英祖の浦添城築城・禅鑑の仏教伝来・元の襲来撃退・英祖王統の五代・察度の中山王国建国・楊載の派遣と泰期による初進貢・三山並立・明皇帝朱元璋への歴代進貢・武寧の治世・尚思紹王の即位・永楽帝への北京進貢と泉州来遠駅設立──
琉球中山の156年を一本の時系列に貫く。
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本書について
西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が初代英祖王統王に即位し浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した日から、西暦1,416年5月6日、尚思紹王の使者韓完義が明に対し中山王国として61度目の進貢を行った日まで。本書は、琉球中山の黎明と興隆——英祖王統の建国と五代に亙る治世、勝連按司の娘婿察度による中山王国建国と英祖王統滅亡、初代明皇帝朱元璋の使者楊載の派遣と泰期による初進貢と冊封、三山並立、歴代中山王国国王察度・武寧・尚思紹王による歴代進貢、永楽帝への北京進貢迄の約156年間を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,260年、英祖が初代英祖王統王に即位し浦添城を築城、1,261年には巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受けた。1,265年、禅鑑が現在の沖縄に漂着して仏教を広め、英祖の帰依を受けて浦添城の西に極楽寺を開山した。1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが英祖王統軍が撃退した。1,299年8月31日、英祖が死去し長男大成が第2代英祖王統王に即位、1,301年には大成の五男が勝連按司に封じられた。1,309年1月19日、大成が死去し弐男英慈が第3代英祖王統王に即位、1,313年10月10日、英慈が死去し参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位したが、玉城は自分の弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた一方、酒に溺れ狩猟を好み政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった。1,322年、怕尼芝が今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国、1,336年4月22日に玉城が死去し、1,337年に長男西威が第5代英祖王統王に即位したが、西威は幼かった為母が実権を握ったものの失った国威を回復する事が出来ず、同年、承察度が「南山王国」を建国した。1,349年4月30日、西威が病死、1,350年、勝連按司の娘婿察度が群臣から推され「中山王国」を建国し初代中山王国国王に即位、此れにより英祖王統は滅亡し三山並立の時代が始まった。
西暦1,372年、朱元璋が楊載を中山王国に派遣し、察度に平定を伝え朝貢を促した。朱の目的は朝貢だけで無く、北元を平定する為に琉球馬を調達するという狙いも有り、当時軍馬の調達ルートの多くはモンゴル人に押さえられていた。同年11月、察度の使者泰期が進貢の為明へ向けて出港し、1,373年1月23日、泰期は明に対し中山王国として最初の進貢を行い、中山王の称号と暦や船を貰い冊封を受けた。以降、泰期・亜蘭砲・阿不耶・三五郎亹・越来按司・宇座按司・麻州・寿礼給智・亜撤都・程復・蔡奇阿勃耶・友賛結致・新垣大親・王茂・大グスク大親・新川大親・中グスク大親・慈空禅師・本部大親・具志頭大親・タブチ・島尻大親・南風原大親・末吉大親・韓完義等の使者が次々と明へ派遣され、中山王国として歴代最多の進貢を重ねていった。1,385年2月10日、朱元璋から亜蘭砲が海船1隻を賜り、1,391年3月28日には2隻目の海船を賜った。1,389年・1,390年・1,392年には察度自らが高麗へ出港し倭寇に捕らわれた高麗人を送還、1,394年10月4日には察度が李氏朝鮮にて礼物を捧げ捕虜男女12名を送還し亡命していた承察度の引き渡しを要求した。1,396年、察度の死去により武寧が中山王国国王となり、1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した。1,407年5月18日、三五郎亹が明に対し中山王国として42度目の進貢を行った際、武寧の訃報を伝え尚思紹王を武寧の世子として第3代明皇帝永楽帝に対し冊封を請うた。1,409年5月25日、三五郎亹は永楽帝の居る北京まで行き海船を賜い、以降、尚思紹王の使者達は度々北京まで出向いて進貢を行った。1,415年1月6日、第4代室町幕府征夷大将軍足利義持が中山王国へ向けて書簡を記し、慈空禅師が此れを受け取った。1,416年5月6日、尚思紹王の使者韓完義が明に対し中山王国として61度目の進貢を行った、本書の終結点。
登場人物
- 英祖 伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子。西暦1,260年、初代英祖王統王に即位し其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した。1,261年に巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受け、1,265年に漂着した禅鑑に帰依して極楽寺の開山を支援、1,291年には元の襲来を撃退した。1,299年8月31日に死去、本書の英祖王統始祖。
- 大成 英祖の長男。西暦1,299年8月31日、英祖の死去により第2代英祖王統王に即位した。1,301年には五男を勝連按司に封じた。1,309年1月19日に死去、本書の英祖王統第2代。
- 英慈 大成の弐男。西暦1,309年1月19日、大成の死去により第3代英祖王統王に即位した。1,313年10月10日に死去、本書の英祖王統第3代。
- 玉城 英慈の参男で玉城城主。西暦1,313年10月10日、英慈の死去により第4代英祖王統王に即位した。自分の弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた一方、酒に溺れ狩猟を好み政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為人心が離れていった。1,336年4月22日に死去、本書の英祖王統衰退の契機。
- 西威 玉城の長男。西暦1,337年、第5代英祖王統王に即位したが幼かった為母が実権を握った。失った国威を回復する事が出来ず、1,349年4月30日に病死し5歳の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった。1,350年、英祖王統は勝連按司の娘婿察度の中山王国建国により滅亡、本書の英祖王統最後の王。
- 禅鑑 仏教の僧。西暦1,265年、現在の沖縄に漂着した。其の後仏教を広め、英祖の帰依を受けて浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した、本書の琉球仏教の祖。
- 察度 勝連按司の娘婿。西暦1,350年、群臣から推され「中山王国」を建国し初代中山王国国王に即位、此れにより英祖王統は滅亡した。1,372年11月、使者泰期を明へ派遣、1,373年1月23日には泰期が中山王国として最初の進貢を行い中山王の称号と暦や船を貰い冊封を受けた。以降、泰期・亜蘭砲・阿不耶・三五郎亹・越来按司・宇座按司・麻州・寿礼給智・亜撤都・程復等の使者を明に派遣し歴代最多の進貢を重ねた。1,385年2月10日には朱元璋から亜蘭砲が海船1隻を賜った。1,389年・1,390年・1,392年には自ら高麗へ出港し倭寇に捕らわれた高麗人を送還、1,394年10月4日には李氏朝鮮にて礼物を捧げ捕虜男女12名を送還し亡命していた承察度の引き渡しを要求した、本書の中山王国の始祖。
- 武寧 察度の後継者で中山王国第2代国王。西暦1,396年、察度の死去により中山王国国王となり、同年10月、使者蔡奇阿勃耶を明へ派遣し1,397年1月14日に中山王国として27度目の進貢を行った。1,397年6月・1,399年6月・1,400年6月には李氏朝鮮へ出港し倭寇の捕虜を送還、1,403年6月には李氏朝鮮へ向かう途上で武蔵国六浦(現在の神奈川県横浜市金沢区)に漂着した。1,407年2月、使者タキと三五郎亹を明へ派遣したが同年5月18日、三五郎亹は武寧の訃報を伝え尚思紹王を武寧の世子として永楽帝に対し冊封を請うた、本書の中山王国第2代。
- 尚思紹王 武寧の世子で中山王国第3代国王。西暦1,407年5月18日、三五郎亹により永楽帝に対し冊封を請われた。以降、大グスク大親・三五郎亹・新川大親・中グスク大親・慈空禅師・本部大親・具志頭大親・タブチ・島尻大親・南風原大親・末吉大親・韓完義等の使者を明へ派遣、1,409年5月25日には三五郎亹が永楽帝の居る北京まで行き海船を賜った。1,410年6月には慈空禅師を日本へ、本部大親を李氏朝鮮へ派遣し広範な外交を展開した。1,415年1月6日には第4代室町幕府征夷大将軍足利義持からの書簡を慈空禅師が受け取った。1,416年5月6日、韓完義が明に対し中山王国として61度目の進貢を行った、本書の終結点の中山王国国王。
- 朱元璋 初代明皇帝(洪武帝)。西暦1,372年、楊載を中山王国に派遣し察度に平定を伝え朝貢を促した。其の目的は朝貢だけで無く、北元を平定する為に琉球馬を調達するという狙いも有った。1,385年2月10日、亜蘭砲に海船1隻、師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印を賜り、三山三王国の権威を公認した。1,391年3月28日には中山王国に2隻目の海船を賜った、本書の中山王国冊封の端緒。
- 永楽帝 第3代明皇帝。西暦1,407年5月18日、三五郎亹により武寧の訃報を伝えられ尚思紹王を武寧の世子として冊封を請われた。1,409年5月25日には北京にて三五郎亹に海船を賜い、1,410年7月31日には新川大親を北京で迎え、1,413年5月20日には三五郎亹に永楽銭を賜った。以降、北京にて歴代中山王国の使者の進貢を受けた、本書の終結期の明皇帝。
- 楊載・李浩 明の使者。楊載は西暦1,372年、朱元璋により中山王国に派遣され察度に朝貢を促した。同年11月には泰期と共に明へ帰国した。李浩は1,375年6月、泰期の帰国に同行して中山王国を訪れ、1,376年3月に泰期と共に明へ帰国した、本書の琉明外交の先駆者。
- 泰期 察度の使者。西暦1,372年11月、進貢の為明へ向けて出港、1,373年1月23日、明に対し中山王国として最初の進貢を行い中山王の称号と暦や船を貰い冊封を受けた。以降、1,374年・1,376年・1,377年・1,378年・1,380年・1,381年と連続して明への進貢を重ね、1,382年3月30日には中山王国として7度目の進貢を行った、本書の中山王国初進貢の立役者。
- 亜蘭砲 察度の使者。西暦1,381年12月、泰期と共に進貢の為明へ向けて出港、1,382年3月30日に中山王国として7度目の進貢を行った。1,385年2月10日には朱元璋から海船1隻を賜った。1,393年11月には国相となり、1,398年3月19日には30度目の進貢を行った、本書の察度期の主要使者。
- 三五郎亹 察度・武寧・尚思紹王の三代に亙る使者。西暦1,396年10月に蔡奇阿勃耶と共に明へ出港して国子監に復監した。1,402年12月以降、中山王国として33度目・35度目・38度目・41度目・42度目・44度目・47度目・50度目・55度目・57度目・60度目の進貢を担った。1,407年5月18日には武寧の訃報を伝え尚思紹王の冊封を請い、1,409年5月25日には永楽帝の居る北京まで行き海船を賜い、1,413年5月20日には北京で永楽銭を賜った、本書の中山王国外交の最重要使者。
- 蔡奇阿勃耶・友賛結致・程復・王茂・新垣大親 中山王国歴代の進貢使者。蔡奇阿勃耶は武寧の使者として西暦1,396年10月に明へ出港し1,397年1月14日に27度目の進貢を行った。友賛結致は1,396年12月以降、28度目・29度目の進貢を担い、1,398年には海船1隻を賜った。程復は1,395年11月以降、25度目・31度目・48度目の進貢を担い、1,411年には中山王国の国相となった王茂と共に活動した。新垣大親は1,398年・1,405年・1,406年の進貢を担い、1,405年9月には暹羅へも出港した、本書の中山王国外交の実務者。
- 大グスク大親・新川大親・中グスク大親・本部大親・具志頭大親・島尻大親・南風原大親・末吉大親・タブチ・韓完義 尚思紹王期の進貢使者。大グスク大親は西暦1,408年に43度目、新川大親は1,410年・1,411年に46度目、中グスク大親は1,410年に45度目、本部大親は1,411年・1,412年・1,413年に49度目を担い度々李氏朝鮮へも出港した。具志頭大親は1,411年・1,412年に48度目・52度目、島尻大親は1,412年に53度目、南風原大親は1,413年・1,414年・1,415年に56度目・58度目を担い北京へ出向いた。末吉大親は1,415年に59度目、タブチは1,411年・1,412年に51度目・54度目、韓完義は1,416年5月6日に61度目の進貢を担った、本書の尚思紹王期の外交の実務者。
- 慈空禅師 尚思紹王の使者。西暦1,410年6月以降、度々日本へ出港し、1,415年1月6日には第4代室町幕府征夷大将軍足利義持からの中山王国へ向けた書簡を受け取った、本書の中山王国と日本本土の外交窓口。
- 怕尼芝・承察度・攀安知・汪応祖 三山並立期の他二王国の国王と使者。怕尼芝は西暦1,322年に今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国、1,383年2月3日には使者模結習が北山王国として初の進貢を行った。承察度は1,337年に「南山王国」を建国、1,394年には察度が李氏朝鮮に亡命先からの引き渡しを要求した。攀安知・汪応祖は其の後継の北山・南山両王国国王として歴代の明への進貢を行った、本書の三山並立期の他二王国の王。
- 足利義持 第4代室町幕府征夷大将軍。西暦1,415年1月6日、中山王国へ向けて書簡を記し、尚思紹王の使者慈空禅師が此れを受け取った、本書の中山王国と室町幕府の外交の先駆。
- 恵祖 伊祖城主で伊祖按司。英祖の父。其の息子英祖が西暦1,260年に英祖王統を開いた、本書の英祖王統の淵源。
主要な地名・拠点
- 伊祖城 英祖の父で伊祖按司の恵祖の居城。英祖は此の地に生まれ、西暦1,260年に英祖王統王に即位した、本書の英祖王統の発祥地。
- 浦添城 現在の沖縄県浦添市仲間。西暦1,260年、初代英祖王統王に即位した英祖が築城した城。1,265年には漂着した禅鑑が英祖の帰依を受けて城の西に極楽寺を開山した、本書の英祖王統及び察度期中山王国の本拠地。
- 極楽寺 現在の沖縄県浦添市仲間。西暦1,265年、漂着した禅鑑が仏教を広め英祖の帰依を受けて浦添城の西に開山した寺、本書の琉球仏教の発祥地。
- 勝連 現在の沖縄県うるま市勝連。西暦1,301年、大成の五男が勝連按司に封じられた地。後の西暦1,350年、此の勝連按司の娘婿察度が中山王国を建国して英祖王統を滅ぼした、本書の中山王国の淵源。
- 玉城 現在の沖縄県南城市玉城。英慈の参男玉城が玉城城主を務めた地。西暦1,313年に玉城は第4代英祖王統王に即位したが、弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた、本書の英祖王統第4代の所縁の地。
- 今帰仁城 現在の沖縄県国頭郡今帰仁村。西暦1,322年、怕尼芝が此の城を本拠として「北山王国」を建国した、本書の北山王国の本拠地。
- 大里 現在の沖縄県南城市大里。西暦1,337年、此の地の按司である承察度が周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し初代南山王国国王に即位した、本書の南山王国の発祥地。
- 西北諸島 西暦1,264年、英祖が朝貢を受けた地域、本書の英祖王統の勢力圏。
- 宮古島 現在の沖縄県宮古島市。西暦1,382年11月、察度の使者亜蘭砲が進貢の為明へ向けて出港した際、船が一度漂着した地、本書の進貢航路の寄港地。
- 明(応天府・北京) 応天府は現在の中華人民共和国江蘇省南京市、北京は現在の中華人民共和国北京市。西暦1,373年1月23日の泰期による中山王国初の進貢から1,416年5月6日の韓完義による61度目の進貢迄、歴代中山王国国王が進貢使節を派遣した地。1,399年4月には察度の使者が戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還した。1,409年5月25日以降は永楽帝の居る北京で進貢が行われる様になった、本書の外交の主舞台。
- 泉州・来遠駅 現在の中華人民共和国福建省泉州市。西暦1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した、本書の琉明外交の拠点。
- 高麗・李氏朝鮮 現在の朝鮮半島。西暦1,389年6月・1,390年6月・1,392年6月には察度自らが高麗へ出港し倭寇に捕らわれた高麗人を送還、1,394年6月以降は李氏朝鮮へ出港して礼物を捧げ捕虜男女12名を送還し亡命していた承察度の引き渡しを要求した。1,397年以降は武寧・尚思紹王の使者達も度々李氏朝鮮へ派遣された、本書の中山王国と朝鮮半島の外交の舞台。
- 国子監 明の最高学府。西暦1,392年5月25日、察度の使者宇座按司が中山王国として18度目の進貢を行った際、3名の官生を国子監に送った。以降、1,397年の三五郎亹の復監、1,411年のファイテ・ジルークの留学、1,413年の3名の官生の留学等、中山王国から繰り返し官生が派遣された、本書の中山王国留学の地。
- 暹羅 現在のタイ王国。西暦1,405年9月、武寧の使者新川大親が那覇にやって来た暹羅船に従って向かった、本書の中山王国と東南アジアの交易の舞台。
- 武蔵国六浦 現在の神奈川県横浜市金沢区。西暦1,403年6月、武寧が李氏朝鮮へ向けて出港する途上で漂着した地、本書の中山王国と日本本土の意図せぬ邂逅の地。
主要な事件・出来事
- 英祖の英祖王統王即位と浦添城築城 西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が初代英祖王統王に即位し、其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した、本書の発端。
- 英祖の巡行と諸法の改定 西暦1,261年、英祖が巡行と諸法の改定を行った、本書の初期の内政整備。
- 西北諸島からの朝貢 西暦1,264年、英祖が西北諸島から朝貢を受けた、本書の最初の対外的権威の発露。
- 禅鑑の漂着と極楽寺開山 西暦1,265年、禅鑑が現在の沖縄に漂着し仏教を広めて英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した、本書の琉球仏教の始まり。
- 元の襲来と英祖王統軍による撃退 西暦1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが英祖王統軍が撃退した、本書の対外防衛の最大の武功。
- 大成の第2代英祖王統王即位と勝連按司封建 西暦1,299年8月31日に英祖が死去し長男大成が第2代英祖王統王に即位、1,301年には大成の五男が勝連按司に封じられた、本書の英祖王統継承と勝連の起源。
- 英慈の第3代英祖王統王即位 西暦1,309年1月19日、大成が死去し弐男英慈が第3代英祖王統王に即位した、本書の英祖王統継承。
- 玉城の第4代英祖王統王即位と衰退の兆し 西暦1,313年10月10日、英慈が死去し参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位、自身の弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた一方、酒に溺れ狩猟を好み政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった、本書の英祖王統衰退の起点。
- 怕尼芝の北山王国建国 西暦1,322年、怕尼芝が今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し初代北山王国国王に即位した、本書の三山並立の第一段階。
- 玉城の死去と西威の第5代英祖王統王即位 西暦1,336年4月22日に玉城が死去し、1,337年に玉城の長男西威が第5代英祖王統王に即位したが、西威は幼かった為母が実権を握ったものの失った国威を回復する事が出来なかった、本書の英祖王統終末の王。
- 承察度の南山王国建国 西暦1,337年、大里按司承察度が周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位した、本書の三山並立の第二段階。
- 西威の病死 西暦1,349年4月30日、西威が病死、一部に5歳の西威の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった、本書の英祖王統後継断絶の危機。
- 察度の中山王国建国と英祖王統滅亡 西暦1,350年、勝連按司の娘婿察度が群臣から推され「中山王国」を建国し初代中山王国国王に即位、此れにより英祖王統は滅亡し三山並立の時代が完成した、本書の歴史的転換点。
- 朱元璋の楊載派遣と朝貢の促し 西暦1,372年、朱元璋が楊載を中山王国に派遣し初代中山王国国王察度に平定を伝え朝貢を促した。唯朱の目的は朝貢だけで無く、北元を平定する為に琉球馬を調達するという狙いも有り、当時軍馬の調達ルートの多くはモンゴル人に押さえられていた、本書の琉明外交の開幕。
- 泰期による中山王国初進貢と冊封 西暦1,372年11月、察度の使者泰期が進貢の為明へ向けて出港、1,373年1月23日、泰期が明に対し中山王国として最初の進貢を行った。中山王の称号と暦や船を貰い、冊封を受けた、本書の中山王国冊封の起点。
- 三山同時進貢の開始 西暦1,382年11月、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が明へ出港、亜蘭砲の船は宮古島に漂着した。1,383年2月3日、3名が明に進貢を行い、中山王国として8度目、南山王国として2度目、北山王国として初の進貢となった、本書の三山明朝外交の本格開幕。
- 朱元璋からの海船下賜 西暦1,385年2月10日、亜蘭砲・師惹・模結習が明に進貢を行った際、初代明皇帝朱元璋から亜蘭砲に海船1隻、師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印を賜り、三山三王国の権威が正式に公認された。1,391年3月28日には中山王国に2隻目の海船も賜った、本書の中山王国冊封の象徴。
- 察度の高麗・李氏朝鮮外交 西暦1,389年6月・1,390年6月・1,392年6月、察度が自ら高麗へ出港し倭寇に捕らわれた高麗人を送還。1,394年6月・10月4日には察度が李氏朝鮮へ出港し礼物を捧げ捕虜男女12名を送還し亡命していた承察度の引き渡しを要求した、本書の中山王国と朝鮮半島の外交。
- 察度の使者の戦乱による帰還 西暦1,398年11月、察度の使者が進貢の為明へ向けて出港したが、1,399年4月、戦乱の為応天府(現在の中国江蘇省南京市)に行く事が出来ず帰還した、本書の明朝内乱(靖難の変)の影響。
- 察度から武寧への中山王国王位継承 西暦1,396年、察度が死去し武寧が中山王国第2代国王となった。1,396年10月には武寧の使者蔡奇阿勃耶が進貢の為明へ出港し、1,397年1月14日に中山王国として27度目の進貢を行った、本書の中山王国王位継承の瞬間。
- 武寧の武蔵国六浦への漂着 西暦1,403年6月、武寧が李氏朝鮮へ向けて出港する途上、武蔵国六浦(現在の神奈川県横浜市金沢区)に漂着した、本書の中山王国と日本本土の意図せぬ邂逅。
- 新川大親の暹羅出港 西暦1,405年9月、武寧の使者新川大親が、那覇にやって来た暹羅船に従って暹羅へ出港した、本書の中山王国と東南アジアの交易。
- 泉州来遠駅の設立 西暦1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した、本書の琉明外交の制度化。
- 武寧の死去と尚思紹王の冊封請願 西暦1,407年2月、武寧の使者三五郎亹が進貢の為明へ向けて出港、同年5月18日、三五郎亹が中山王国として42度目の進貢を行った際、武寧の訃報を伝え尚思紹王を武寧の世子として第3代明皇帝永楽帝に対し冊封を請うた、本書の中山王国第3代継承の瞬間。
- 三五郎亹の北京進貢と海船下賜 西暦1,409年2月、尚思紹王の使者三五郎亹が進貢の為明へ向けて出港、同年5月25日、三五郎亹が中山王国として44度目の進貢を行った。此の際三五郎亹は永楽帝の居る北京まで行き、海船を賜った、本書の中山王国北京進貢の開始。
- 足利義持の中山王国宛書簡 西暦1,415年1月6日、第4代室町幕府征夷大将軍足利義持が中山王国へ向けて書簡を記し、尚思紹王の使者慈空禅師が此れを受け取った、本書の中山王国と室町幕府の外交の先駆。
- 韓完義の61度目進貢 西暦1,416年2月、尚思紹王の使者韓完義が進貢の為明へ向けて出港、同年5月6日、韓完義が明に対し中山王国として61度目の進貢を行った、本書の終結点。
英祖の浦添城築城・禅鑑の仏教伝来・元の襲来撃退・英祖王統の五代・察度の中山王国建国・楊載の派遣と泰期による初進貢・三山並立・明皇帝朱元璋への歴代進貢・武寧の治世・尚思紹王の即位・永楽帝への北京進貢と泉州来遠駅設立──
琉球中山の156年を一冊に。
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