「ブラジル」の国名の由来となった
ペドロ・アルヴァレス・カブラルの
インド遠征一元化
13隻で発ち、4隻で帰る──
一つの遠征が、一つの国の名を残した。
124円(税込)
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本書について
西暦1,500年、ポルトガル王ジョアン2世は、クリストファー・コロンブス・ヴァスコ・ダ・ガマ・バルトロメウ・ディアスという三人の航海者の成功を承けて、ペドロ・アルヴァレス・カブラルをインド航海の遠征隊隊長に任命した。同年3月9日、カブラルは13隻の船と1,500名の隊員を率いてタホ川下流のリスボンを発つ。採られたのは、南米を目指して西へ向かい、其処から喜望峰を回ってインドへ至るという航路であった。艦隊にはガマとディアスも乗り込み、ガマは航海のコースに必要な指示を与えている。本書は、此の出発から西暦1,501年6月23日の帰還までを、年月日単位で一元化した記録である。
4月22日、一行は一つの山を見出し「モンテ・パスコアル」と名付けた。翌23日にはブラジルの海岸へ上陸し、25日には全艦隊がポルト・セグーロへ入る。カブラル達は、其の土地を島だと考え「真の十字架の島(ベラクルス島)」と名付けた。だが此の土地には、赤色染料の原料となるパウ・ブラジルが豊富に存在していた。ポルトガルの商人達は其れに因んで、此の地を「テッラ・ド・ブラジル(ブラジルの地)」と呼ぶ様になる——後の国名「ブラジル」は、此処に由来する。船団が付けた聖なる名ではなく、商人達が呼んだ木の名の方が残ったのである。
5月3日、艦隊は当初の目的である喜望峰経由でのインドへの航海を再開する。だが5月24日、喜望峰付近で激しい嵐に遭い、バルトロメウ・ディアスの船を含む4隻が失われた。喜望峰を初めて回った男が、其の喜望峰で消えた事になる。艦隊は7月16日にソファラ、20日にモザンビーク島、8月2日にメリンデへと到達し、インドへ向かう為の水先案内人を雇った。其の間の8月10日には、ディオゴ・ディアスの指揮する1隻が悪天候によって集団から離れ、後に「マダガスカル」と呼ばれる島を発見している。遭難と発見は、同じ天候の裏表であった。
9月13日、カブラルはカリカット(現在のインドのケララ州コーリコード)に到着し、香辛料の交易を行なった。西暦1,501年1月16日にポルトガルへ向けて出港し、3月1日にはヴァスコ・ダ・ガマが香辛料をポルトガルに持ち帰る。そして6月23日、カブラルはリスボンへ帰還した。13隻で発った艦隊の内、戻ったのは僅か4隻であった。ジョアン2世・カブラル・ガマ・ディアス兄弟——ポルトガル王室の後援の下に大航海時代の航路網を築いた人物達の一年余りを、本書は一冊に束ねている。
本書が記録する出来事
- 西暦1,500年 カブラルの任命 ジョアン2世が、クリストファー・コロンブス・ヴァスコ・ダ・ガマ・バルトロメウ・ディアスの成功を承けて、ペドロ・アルヴァレス・カブラルをインド航海の遠征隊隊長に任命した。
- 西暦1,500年3月9日 リスボン出発 13隻の船と1,500名の隊員と共にタホ川下流のリスボンを出発。南米を目指して西へ向かい、喜望峰を回ってインドへ向かう航路を採った。ヴァスコ・ダ・ガマとバルトロメウ・ディアスも乗船し、ガマが航海のコースに必要な指示を与えた。
- 西暦1,500年4月22日 モンテ・パスコアルの発見 一行が山を発見し「モンテ・パスコアル」と名付けた。現在のブラジルのバイーア州に在る、南米到達の最初の目印である。
- 西暦1,500年4月23日 ブラジル海岸への上陸 ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルの海岸に上陸した。
- 西暦1,500年4月25日 ポルト・セグーロ入港と命名 全艦隊がポルト・セグーロ(現在のブラジルのバイーア州)に入る。カブラル達は上陸した土地を島だと考え「真の十字架の島(ベラクルス島)」と名付けたが、赤色染料の原料パウ・ブラジルが豊富に在った為、ポルトガルの商人達は「テッラ・ド・ブラジル(ブラジルの地)」と呼んだ。此れが後の国名「ブラジル」の由来となった。
- 西暦1,500年5月3日 インド航海の再開 当初の目的である喜望峰経由でのインドへの航海を再開した。
- 西暦1,500年5月24日 喜望峰付近での遭難 喜望峰付近で激しい嵐に遭い、バルトロメウ・ディアスの船を含む4隻が失われた。
- 西暦1,500年7月16日 ソファラ到着 一行が現在のモザンビークに当たるソファラへ到着した。
- 西暦1,500年7月20日 モザンビーク島到着 一行が現在のモザンビークのナンプーラ州に当たるモザンビーク島へ到着した。
- 西暦1,500年8月2日 メリンデ到着 一行が現在のケニアのキリフィ県に当たるメリンデへ到着し、インドへ向かう為の水先案内人を雇った。
- 西暦1,500年8月10日 マダガスカル島の発見 ディオゴ・ディアスが指揮する船の内1隻が悪天候により集団から離れ、後に「マダガスカル」と呼ばれる島を発見した。
- 西暦1,500年9月13日 カリカット到着と香辛料交易 カブラルがカリカット(現在のインドのケララ州コーリコード)に到着し、香辛料の交易を行なった。
- 西暦1,501年1月16日 帰路への出港 ペドロ・アルヴァレス・カブラルがポルトガルへ向けて出港した。
- 西暦1,501年3月1日 香辛料の持ち帰り ヴァスコ・ダ・ガマが香辛料をポルトガルに持ち帰った。
- 西暦1,501年6月23日 リスボン帰還 カブラルがリスボンに帰還した。西暦1,500年3月9日に13隻で出発したものの、此の日帰還したのは僅か4隻であった。
登場人物
- ペドロ・アルヴァレス・カブラル 本書の中心人物。ポルトガルのインド航海遠征隊隊長。西暦1,500年3月9日に13隻でリスボンを出発し、4月23日にブラジル海岸へ上陸。喜望峰を回ってカリカットへ到達し香辛料交易を行ない、西暦1,501年6月23日に4隻でリスボンへ帰還した。
- ジョアン2世 ポルトガル王。コロンブス・ガマ・ディアスの成功を承けて、ペドロ・アルヴァレス・カブラルをインド航海の遠征隊隊長に任命した。
- クリストファー・コロンブス 大西洋を西回りした航海の成功者。其の業績が、カブラルの遠征隊長任命の前提となった。
- ヴァスコ・ダ・ガマ インド航路を開拓した先行者。カブラル遠征隊にも乗船し、航海のコースに必要な指示を与えた。西暦1,501年3月1日に香辛料をポルトガルに持ち帰っている。
- バルトロメウ・ディアス 喜望峰を初めて回った航海者。カブラル遠征隊に乗船したが、西暦1,500年5月24日、其の喜望峰付近の激しい嵐で自身の船を含む4隻が失われた。
- ディオゴ・ディアス カブラル遠征隊の1隻の指揮官で、バルトロメウ・ディアスの兄弟。西暦1,500年8月10日、悪天候により集団から離れ、後に「マダガスカル」と呼ばれる島を発見した。
登場組織・地名
- ポルトガル王国 ジョアン2世が国王の王国。リスボンを起点として大航海時代の航路網を確立し、カブラル遠征隊の派遣により、南米と東アフリカ・インド洋航路の連結を実現した。
- パウ・ブラジル 赤色染料の原料となる木材。カブラルが上陸した土地に豊富に存在しており、ポルトガル商人達が其の地を「テッラ・ド・ブラジル(ブラジルの地)」と呼んだ事が、後の国名「ブラジル」の由来となった。
- モンテ・パスコアル 現在のブラジルのバイーア州に在る山。西暦1,500年4月22日にカブラル一行が発見し命名した、南米到達の最初の目印である。
- ポルト・セグーロ 現在のブラジルのバイーア州。西暦1,500年4月25日にカブラル全艦隊が入港し、上陸地を「真の十字架の島(ベラクルス島)」と命名した場所。
- ソファラ 現在のモザンビーク。西暦1,500年7月16日にカブラル一行が到着した、東アフリカ航路の中継地。
- モザンビーク島 現在のモザンビークのナンプーラ州。西暦1,500年7月20日にカブラル一行が到着した。
- メリンデ 現在のケニアのキリフィ県。西暦1,500年8月2日にカブラル一行が到着し、インドへ向かう為の水先案内人を雇った。
- マダガスカル島 西暦1,500年8月10日、悪天候により集団から離れたディオゴ・ディアス指揮下の船が発見した島。
- カリカット 現在のインドのケララ州コーリコード。西暦1,500年9月13日にカブラルが到着し、香辛料交易を行なった、遠征の到達点。
聖なる名ではなく、木の名が残った──
カブラルのインド遠征と「ブラジル」命名の全行程を一元化。
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