死を以って抗議した
西播磨県民局長・渡瀬康英
一元化
一人の公務員が、告発文書を世に問うた──
西播磨県民局長・渡瀬康英を巡る百二十日を一元化。
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本書について
渡瀬康英は、約40年に渡って兵庫県に奉職した一人の公務員であった。西播磨県民局長を務めた彼は、西暦2,024年、知事を巡る不正を訴える告発文書を世に問い、其の結果として職を解かれ、懲戒処分を受け、そして自ら命を絶った。本書は、西暦2,024年3月12日から7月19日に掛けての渡瀬康英を巡る出来事を、告発文書・反論書簡・公益通報・遺族のメール・百条委員会の記録等の出典と共に、年月日単位で一元化した記録である。
西暦2,024年3月12日、渡瀬康英は「斎藤元彦兵庫県知事の違法行為等について」と題した告発文書を、兵庫県関係者やメディアの約10名に郵送する。文書は七項目から成っていた。ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長・五百籏頭眞の急逝に至る経緯、知事選挙に際しての公職選挙法・地方公務員法違反の疑い、次回選挙に向けた商工会議所等への投票依頼行脚、コーヒーメーカー・ロードバイク・ゴルフのアイアンセットに及ぶ贈答品の受領、政治資金パーティーのパー券購入を巡る圧力、阪神・オリックスの優勝パレードを巡る公金の扱い、そして職員への執拗なパワーハラスメント——渡瀬は其れ等を具体的な日付と関係者名を挙げて記した。文書の末尾で彼は、此の内容は議会関係者・警察・マスコミにも提供しているが、関係者の名誉を毀損する事が目的ではなく、兵庫県が少しでも良くなる様、各自の判断で活用して欲しい旨を添えている。
文書を把握した兵庫県側の対応は速かった。3月20日に斎藤元彦が文書を把握し、翌21日には片山安孝等との協議を経て調査が指示される。3月25日午前、副知事片山安孝が井ノ本知明を伴って西播磨県民局を突然訪れ、事前に用意されたマニュアルに基づく事情聴取が行われた。誰から聞いたのか、誰に渡したのか、勤務時間中に公用パソコンで作成したのではないか——問いは矢継ぎ早に飛び、渡瀬の公用パソコンは其の場で押収される。渡瀬は文書を自ら書いた事は認めた上で、内容は全て事実であり、西播磨県民局長時代の3年間を含む約40年間、充実した公務員生活を過ごし兵庫県には何の不満も無いと伝えた。同日11時30分には職員局長へ電話し、文書は自分一人で作成し他に関係者は居ない旨を告げている。押収されたパソコンからは、其の後情報が抜き取られた。
3月27日、斎藤元彦は記者会見で、渡瀬が「有りもしない事を縷々並べた」と認めたとし、業務時間中に嘘八百の文章を作って流す行為は公務員として失格であり懲戒処分を行うと述べた。だが実際には、兵庫県はまだ渡瀬に対する聴取を行っていなかった。斎藤は同月31日に退職を予定していた渡瀬の退職を認めず、西播磨県民局長職を解任する。解任の辞令を手渡した片山に対し、渡瀬が伝えたのは一言であった——「証拠に基づいてきちんと判断して下さい」。
4月1日、渡瀬は自らへの措置に反論する書簡を配布する。後輩が伸び伸びと業務を行える様、兵庫県政が変わって欲しいという願いが綴られ、末尾は、傍らに有った書籍から溢れ出た栞に記されていたとして、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーの祈りで結ばれていた。変えてはならないものを受け入れる冷静さを、変えるべきものは変える勇気を、そして其の二つを見分ける知恵を——最後のエールであった。4月4日、渡瀬は解任に関し兵庫県職員公益通報制度の窓口に通報する。通報内容は告発文書と同じであった。だが5月7日、兵庫県は内部調査により核心的な部分が事実と異なるとして、停職3ヶ月の懲戒処分を課す。公益通報の結果を待たず、そして通報の時点で渡瀬が公益通報者保護法の保護対象であったにも拘らず、処分は強行された。
6月13日、兵庫県議会は地方自治法100条に基づく調査特別委員会——百条委員会の設置を賛成多数で可決し、奥谷謙一を委員長とする15名の委員が選出される。だが其の裏では、押収された渡瀬の公用パソコンから抜き出されたプライベートなデータを印刷した資料が持ち歩かれ、兵庫県OBや県議会議員に示されていたという。そして証人喚問を7月19日に控えた7月7日、渡瀬康英は姫路市内の空き家となっていた生家で、死を以って抗議する旨のメッセージを残し、自ら命を絶った。
7月12日14時2分、渡瀬の妻が百条委員会の委員に宛ててメールを送る。7月10日に家族だけで葬儀を執り行った事、余りに突然で未だ実感が湧かない事、しかし夫が県職員の為を想って取った行動を決して無駄にしてはならないと考えている事。夫は最後の言葉を残しており、19日の委員会には出頭出来ないが自ら作成した陳述書と参考の音声データの提出を以って替えて欲しい事、そして百条委員会は最後迄やり通して欲しい事が記されていた——遺族一同、職員が誇りを持って働ける兵庫県庁となる事を願っています、と。同日、兵庫県人事課は百条委員会に関する服務の通達を発し、守秘義務免除の申請と承認を求めた。どの職員が何を話すつもりなのかを事前に把握する此の仕組みは、7月19日の委員会で調査妨害であるとの批判を浴びる。同日公開されたA4用紙12枚の資料には、集りとパワハラの事案が多数記されていた。本書は、一人の公務員が遺した告発と問いを——其の言葉と、最後の願いまでを——出典と共に一冊に束ねている。
本書が記録する出来事
- 西暦2,024年3月12日 告発文書の送付 渡瀬康英が「斎藤元彦兵庫県知事の違法行為等について」と題した七項目の告発文書を、兵庫県関係者やメディア約10名に郵送した。五百籏頭眞の急逝に至る経緯、選挙を巡る違法行為、投票依頼行脚、贈答品、政治資金パーティー、優勝パレードを巡る公金、パワーハラスメントが記されていた。
- 西暦2,024年3月20日〜21日 県側の把握と調査指示 斎藤元彦が告発文書を把握し、翌日、片山安孝等との協議を経て調査を指示した。
- 西暦2,024年3月25日 公用PCの押収 片山安孝が井ノ本知明を伴って西播磨県民局を突然訪れ、事前に作成されたマニュアルに基づく事情聴取を行い、渡瀬の公用パソコンを押収した。渡瀬は文書を書いた事を認めつつ、内容は全て事実であり約40年の公務員生活に何の不満も無いと伝えた。同日、別の県職員も同様に訪問を受けたが、後に無関係と判明している。
- 西暦2,024年3月27日 県民局長職の解任 斎藤元彦が記者会見で渡瀬の懲戒方針を表明し、退職を認めず解任した。だが実際には、兵庫県は渡瀬への聴取をまだ行っていなかった。辞令を手渡した片山安孝に対し、渡瀬は「証拠に基づいてきちんと判断して下さい」と伝えた。
- 西暦2,024年4月1日 処分への反論書簡 渡瀬が自らへの措置に反論する書簡を配布した。後輩が伸び伸びと働ける兵庫県政への願いを記し、末尾を、傍らの書籍から溢れ出た栞に有ったという神学者ラインホルド・ニーバーの祈りで結んだ。
- 西暦2,024年4月4日 公益通報 渡瀬が、自らの西播磨県民局長職の解任に関し、告発文書と同じ内容を兵庫県職員公益通報制度の窓口に通報した。
- 西暦2,024年4月15日頃 産業労働部幹部の退職承認 渡瀬に原田剛治の行動を伝えたと疑われ退職届を保留されていた産業労働部幹部に就いて、兵庫県が、懲戒処分に該当する事実は無かったとして前月末日付での退職を認めた。
- 西暦2,024年5月7日 停職3ヶ月の懲戒処分 兵庫県が、内部調査により核心的な部分が事実と異なるとして渡瀬に停職3ヶ月の懲戒処分を課した。公益通報の結果を待たず、また通報の時点で渡瀬が公益通報者保護法の保護対象であったにも拘らず強行された処分であった。
- 西暦2,024年6月13日 百条委員会の設置 兵庫県議会が地方自治法100条に基づく調査特別委員会の設置議案を賛成多数で可決し、奥谷謙一を委員長とする15名の委員が選出された。一方で、押収された渡瀬のプライベートなデータが印刷され、県OBや県議会議員に示されて回ったとされる。
- 西暦2,024年7月7日 渡瀬康英の死 証人喚問を7月19日に控えた渡瀬康英が、姫路市内の空き家となっていた生家で、死を以って抗議する旨のメッセージを残し、自ら命を絶った。
- 西暦2,024年7月12日 遺族による陳述書の提出 渡瀬の妻が百条委員会の委員に宛ててメールを送り、夫の遺志——陳述書と音声データの提出を以って出頭に替えて欲しい事、百条委員会を最後迄やり通して欲しい事——を伝え、資料を提出した。
- 西暦2,024年7月12日 人事課の通達 兵庫県人事課が総務課副課長等会議で「百条委員会に関する各種服務に就いて」と題した通達を発した。守秘義務免除の申請と承認を求める仕組みであり、どの職員が何を話すつもりなのかを事前に把握するものだとして、出頭妨害との批判を招いた。
- 西暦2,024年7月19日 百条委員会と資料の公開 百条委員会が開かれ、A4用紙12枚から成る渡瀬の資料が公開された。委員会は陳述書も参考にして職員アンケートを継続し証人尋問を順次行う事を決定。人事課の通達も取り上げられ、委員から調査妨害であるとの批判が相次いだ。
登場人物
- 渡瀬康英 本書の中心人物。約40年に渡り兵庫県に奉職し、西播磨県民局長を務めた。西暦2,024年3月12日に告発文書を送付し、公用パソコンを押収され、退職を認められぬまま解任、停職3ヶ月の懲戒処分を受けた。同年7月7日、証人喚問を控えた中で、死を以って抗議する旨のメッセージを残して世を去った。
- 斎藤元彦 告発文書が名指しした兵庫県知事。西暦2,021年7月18日執行の知事選挙で当選した。文書を把握した後、調査を指示し、3月27日の記者会見で懲戒方針を表明して渡瀬を解任した。公益通報の結果を待たずに懲戒処分を強行した経緯が、後に百条委員会の主要な論点となる。
- 片山安孝 兵庫県副知事。西暦2,024年3月25日、井ノ本知明を伴って西播磨県民局を訪れ、事前に作成されたマニュアルに基づき渡瀬を尋問して公用パソコンを押収した。3月27日には解任の辞令を手渡している。告発文書でも、パー券購入への圧力や優勝パレードの寄付集めの司令塔として名指しされた。
- 井ノ本知明 兵庫県民生活部長。告発文書では、知事選挙に際しての事前運動を行った4名の一人として、またトレック・ジャパンとの協定を巡る一件のアレンジ役として名指しされた。3月25日に片山安孝に同行し、押収した公用パソコンから情報を抜き取った。
- 原田剛治 兵庫県産業労働部長。告発文書では、事前運動を行った4名の一人であり、知事の投票依頼行脚に随行し、贈答品の受領にも関与したとされた。
- 小橋浩一 告発文書が、知事選挙に際しての事前運動を行ったとして名指しした4名の一人。片山・井ノ本・原田と共に、押収データを持ち歩いたとされる。
- 五百籏頭眞 ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。西暦2,023年3月5日に副知事から副理事長二名の解任を通告され、翌6日、機構の理事長室で倒れ急性大動脈解離で急逝した。告発文書は、其の経緯を第一項目に据えている。
- 御厨貴・河田惠昭 ひょうご震災記念21世紀研究機構副理事長。阪神淡路大震災30年を翌年に控えた時期に解任を通告された二名であり、告発文書は其れを五百籏頭眞と井戸敏三前知事への嫌がらせだと記した。
- 井戸敏三 前兵庫県知事。五百籏頭眞に兵庫県立大学理事長等を嘆願し、御厨貴・河田惠昭を県政に招いた人物。告発文書は、西暦2,021年8月の知事交代以降に生じた溝を、事の背景として描いている。
- 奥谷謙一 兵庫県議会の百条委員会委員長。西暦2,024年6月13日の設置可決により選出された15名の委員を率いた。渡瀬の妻のメールは、委員長を始めとする委員の尽力によって真実が解明される事への願いで結ばれている。
- 渡瀬康英の妻 西暦2,024年7月12日、百条委員会の委員に宛ててメールを送り、夫が遺した最後の言葉と、陳述書・音声データの提出、そして百条委員会を最後迄やり通して欲しいという遺志を伝えた。
- ラインホルド・ニーバー アメリカの神学者。渡瀬が反論書簡の末尾に、傍らの書籍から溢れ出た栞に記されていたとして引いた祈りの作者。変えてはならないものを受け入れる冷静さ、変えるべきものを変える勇気、そして其の二つを見分ける知恵を求める言葉である。
渡瀬康英が遺したもの
- 七項目の告発 五百籏頭眞の急逝に至る経緯、知事選挙に際しての違法行為、投票依頼行脚、贈答品、政治資金パーティー、優勝パレードを巡る公金、パワーハラスメント——渡瀬が告発文書に記した七つの項目。
- 「証拠に基づいて」 解任の辞令を受け取った際、渡瀬が片山安孝に伝えた「証拠に基づいてきちんと判断して下さい」という言葉。文書の真偽を巡る其の後の全ての手続きに、先んじて投げ掛けられた問いであった。
- 反論書簡と「ニーバーの祈り」 西暦2,024年4月1日の反論書簡を、渡瀬は神学者ラインホルド・ニーバーの祈りで結んだ。後輩が伸び伸びと働ける県政への願いに続く、最後のエールであった。
- 公益通報者の保護 4月4日に公益通報を行い保護対象となっていながら、5月7日に通報の結果を待たず懲戒処分を受けた経緯は、通報者保護の実効性を巡る重い問いを残した。
- 陳述書と音声データ 出頭出来ぬ代わりにと渡瀬が生前に用意し、遺族が百条委員会へ提出した資料。A4用紙12枚から成る資料には、寄せられた集り・パワハラの事案が多数記されていた。
- 遺族の願い 渡瀬の妻が百条委員会に伝えた、夫の行動を無駄にしてはならないという思いと、職員が誇りを持って働ける兵庫県庁となる事を願う遺族一同の言葉。
- 百条委員会と調査妨害 告発文書が動かした百条委員会の設置、県職員へのアンケート、順次行われる証人尋問。そして、其の出頭を妨げるものとして批判された人事課の通達。
証拠に基づいて、きちんと判断して下さい──
告発文書から百条委員会まで、其の全経緯を一元化。
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