機械式腕時計
創業の歴史
一元化
西暦1,735年、スイスの片田舎から始まった──
機械式腕時計を生んだ作り手達の、創業の物語。
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本書について
西暦1,735年、ジャン・ジャック・ブランパンがヴィルレ(現在のスイスのベルン州)の村民名簿に、時計職人として登録された。会社の設立を告げる証書でも、華々しい開業の記録でもない。一介の村人の職業欄に「時計職人」と書き込まれた——其れが「ブランパン」の始まりであり、現存する時計ブランドとして最も古い部類に入る一社の出発点である。本書は、此の一行を起点として、西暦2,001年のリシャール・ミル創業に至る二百六十余年を、機械式腕時計を生んだ作り手達の「創業」という一点に絞って年月日単位で一元化した記録である。
舞台の中心は、スイスのジュラ地方とジュネーヴであった。西暦1,755年9月17日、ジャン・マルク・ヴァシュロンはサン・ジェルヴェ(現在のスイスのジュネーヴ州)の自身の工房にイザヤ・ジャン・フランソワ・エティエを雇い、後の「ヴァシュロン・コンスタンタン」となる会社を立ち上げる。西暦1,775年にはアブラアム・ルイ・ブレゲがパリのシテ島ロルロージュ河岸に工房を開き、西暦1,839年5月1日、チェコ人時計職人フランティシェック・チャペックとポーランド人実業家アントニ・パテックがジュネーヴに「パテック, チャペック社」を設立した。西暦1,875年12月17日には、父の店で技を学んだジュール・ルイ・オーデマがル・ブラシュ(現在のスイスのヴォー州)の実家の農場で時計店を開く決意を固め、学友エドワード・オーギュスト・ピゲに協力を求めて「オーデマ・ピゲ」が生まれる。オーデマがムーブメントの製作・ケースへの取り付け・仕上げを担い、ピゲが最終的な調整役を担った。名門は、都市の大工場からではなく、小さな村の農場や小屋から立ち上がっている。
ドイツには、町ごと作り替えた男がいた。フェルディナント・アドルフ・ランゲである。西暦1,829年にドレスデン工科大学へ入り、ゼンパー歌劇場の5分時計を作ったヨハン・フリードリヒ・グートケスに弟子入りして、週6日のうち3日は理論、3日は手作業という修行を積んだ。西暦1,837年からはパリ・スイス・イギリスを巡り、ブレゲの弟子である時計師ヴィネルの下で4年を過ごして職長にまでなる。ヴィネルは「もっと長く滞在して一緒に仕事をしないか」と持ち掛けたが、ランゲには別の人生プランが有った。嘗て銀採掘で栄え、既に衰退していたグラスヒュッテ(現在のドイツのザクセン州)に繁栄を齎す——其の構想である。西暦1,842年、ランゲはザクセン州の高等法院へ書簡を送り、時計製造業を中心とした町の活性化を訴えた。「近い将来、此の不幸な人々の間に生活と繁栄が広まると確信している」。訴えは容れられ、西暦1,845年12月7日、ランゲは15名の見習い工と共にドレスデンからグラスヒュッテへ移住し「A.ランゲ&カンパニー」を設立する。此の町は、今日に至るまでドイツ高級時計の聖地であり続けている。
作り方の仕組みも、並行して変わってゆく。西暦1,832年、オーギュスト・アガシはサン・ティミエ(現在のスイスのベルン州)に、各人の作業が終わると次の工程を請け負う者へ半完成品を回してゆく「エタブリサージュ」の工房を設けた。翌西暦1,833年、アントワーヌ・ルクルトは鋼鉄から歯車と一体の小さな歯車「カナ」を切り出す機械を発明し、ル・サンティエ(現在のスイスのヴォー州)の小屋を工房に作り変えて「ジャガー・ルクルト」を創業する。西暦1,878年にビール(現在のスイスのベルン州)で工房を構えたジャン・エグラーと妻アンナ・マリア・ラムザーは、西暦1,881年に部品から一貫して作るマニュファクチュールへと至り、歯車を一定速度で回す為の部品であるアンクル脱進機を積んだ小型の婦人用時計に専念した。西暦1,891年8月2日にジャンが世を去った後も、妻と息子オットー・ヘルマンの手で事業は続き、西暦1,902年、遂にアンクル脱進機を搭載した女性用腕時計の量産が始まる。翌西暦1,903年、飛行家アルベルト・サントス・デュモンの注文により、第3代カルティエ経営者ルイ・カルティエがフラットなフォルムと四角いベゼルを持つ男性用腕時計「サントス」を作った。時計は、懐から手首へと移ってゆく。
大西洋の向こうでも動きは有った。西暦1,868年、ボストン出身のフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズはシャフハウゼン(現在のスイス)に「IWC」を興す。スイスの職人技と、当時のヨーロッパの安い人件費を組み合わせる算段であった。彼がジュネーヴで説いた「工房を一箇所に集約する」という案は、自宅や小工房で作るのが当たり前だった時代には懐疑的に受け止められたが、時計職人インリッヒ・モーザーとの出会いが道を開く。モーザーは滝の水力発電を提案し、ジョーンズは之を容れた。一方アメリカ本土では、西暦1,874年にランカスター(アメリカのペンシルベニア州)で始まった「アダムス&ペリー・ウォッチ・カンパニー」が、西暦1,877年に3社統合の「ランカスター・ペンシルベニア・ウォッチ・カンパニー」となり、西暦1,879年の再編、西暦1,886年のキーストン・ウォッチ・カンパニーによる買収を経て、西暦1,892年10月、オーロラ・ウォッチ・カンパニーの買収と共に「ハミルトン・ウォッチ・カンパニー」へと姿を変えた。社名は、ランカスターの土地の所有者で第24代ペンシルベニア植民地総督を務めたジェームズ・ハミルトンに因む。創業とは、しばしば買収と再編の別名でもある。
西暦1,905年、ハンス・ウィルスドルフがロンドンのハットンガーデンに時計商社「ウィルスドルフ&デイビス」を構え、ジャン・エグラーの機械を輸入して製造販売にも乗り出した。後の「ロレックス」である。時代が下れば作り手の顔触れも変わる。西暦1,960年12月18日、諏訪精工舎が初代「グランドセイコー」を発売し、西暦1,975年にはVIPへの贈答用として「ブルガリ・ブルガリ」が生まれた。西暦1,979年、ビンダグループ創業家のカルロ・クロッコが「ウブロ」を設立し(衝撃に強いとの理由から当初は全てクォーツであった)、西暦1,987年にはシャネルが8角形ケースの「プルミエール」で時計業界へ参入する。西暦1,990年1月、ローランド・シュヴェルトナーはランゲの町グラスヒュッテに「ノモス・グラスヒュッテ」を興し、西暦1,992年にフランク・ミュラー、西暦1,995年にロジェ・デュブイ、西暦1,997年にウルベルク、そして西暦2,001年にリシャール・ミルが続いた。村民名簿の一行から始まった系譜が、如何にして世界の作り手達へ枝分かれしていったのか——本書は、其の創業の瞬間だけを集めて一冊に束ねている。
登場人物
- ジャン・ジャック・ブランパン 西暦1,735年、ヴィルレ(現在のスイスのベルン州)の村民名簿に時計職人として登録され、「ブランパン」を設立した。現存する時計ブランドとして最も古い部類に入る、本書の年表が始まる人物である。
- ジャン・マルク・ヴァシュロン 西暦1,755年9月17日、サン・ジェルヴェ(現在のスイスのジュネーヴ州)に開いた自身の工房にイザヤ・ジャン・フランソワ・エティエを雇い、後の「ヴァシュロン・コンスタンタン」となる時計会社を設立した。
- アブラアム・ルイ・ブレゲ 西暦1,775年、パリのシテ島ロルロージュ河岸に後の「ブレゲ」となる時計工房を開いた。其の弟子筋は後進に大きな影響を与え、フェルディナント・アドルフ・ランゲもパリでブレゲの弟子ヴィネルの下に学んでいる。
- オーギュスト・アガシ 西暦1,832年、時計販売会社に入社し、サン・ティミエ(現在のスイスのベルン州)にエタブリサージュの時計工房を設立した。各パーツやエボーシュムーブメントを次の工程の作業者へ回してゆく分業体制を敷いた人物である。
- アントワーヌ・ルクルト 西暦1,833年、鋼鉄から歯車と一体の小さな歯車「カナ」を切り出す機械を発明し、ル・サンティエ(現在のスイスのヴォー州)で家族が使っていた小屋を時計工房へと作り変えて「ジャガー・ルクルト」を設立した。
- アントニ・パテック/フランティシェック・チャペック ポーランド人実業家パテックとチェコ人時計職人チャペックは、西暦1,839年5月1日に共同で事業を始める事で同意し、ジュネーヴに「パテック, チャペック社」を設立した。後の「パテック・フィリップ」の前身である。
- フェルディナント・アドルフ・ランゲ ドレスデン工科大学に学びヨハン・フリードリヒ・グートケスに弟子入り、パリのヴィネルの下で職長を務めた後に帰郷した。衰退した町グラスヒュッテに繁栄を齎すべく高等法院へ事業計画を訴え、西暦1,845年12月7日、ユリウス・アスマン等15名の見習い工と共に移住して「A.ランゲ&カンパニー」を設立した。
- ヨハン・フリードリヒ・グートケス ドレスデン・ゼンパー歌劇場の5分時計の製作者。西暦1,829年にランゲを弟子とし、週6日のうち3日は理論・3日は手作業という修行を課した。西暦1,842年、其の時計事業をランゲが引き継いでいる。
- ルイ・ブラン 西暦1,848年、ラ・ショー・ド・フォン(現在のスイスのヌーシャテル州)に懐中時計組立の時計工房を開いた。此の工房が後の「オメガ」へと発展してゆく。
- シャルル・フェリシアン・ティソ 息子シャルル・エミール・ティソと共に、西暦1,853年、ル・ロックル(現在のスイスのヌーシャテル州)にて自宅を時計工房とし「ティソ」を設立した。親子二代で始まった数少ない創業例である。
- エドゥアルト・ホイヤー 靴職人の息子。西暦1,860年、サン・ティミエ(現在のスイスのベルン州)に時計工房「エドゥアルト・ホイヤー・ウォッチメーカーズ」を設立した。後の「タグ・ホイヤー」である。
- ジョヴァンニ・パネライ 肉屋・理髪店・八百屋・焼き栗屋を営んでいた人物。西暦1,860年、フィレンツェのグラツィエ橋に、販売店・時計工房・時計製造学校を兼ねた「オフィチーネ・パネライ」を設立した。
- フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズ アメリカのボストン出身。西暦1,868年、スイスの職人技と当時のヨーロッパの安い人件費を活かす算段でシャフハウゼンに「IWC」を設立した。工房の集約案は懐疑的に受け止められたが、時計職人インリッヒ・モーザーの提案で滝の水力発電を採り入れた。
- ジョルジュ・エドワール・ピアジェ 西暦1,874年、ラ・コート・オー・フェ(現在のスイスのヌーシャテル州)にあるピアジェ家の農場内の建物に時計工房を構え、「ピアジェ」を設立した。
- ジュール・ルイ・オーデマ/エドワード・オーギュスト・ピゲ 共に実家で時計製造技術を学んだ学友同士。西暦1,875年12月17日、ル・ブラシュ(スイスのヴォー州)に「オーデマ・ピゲ」を設立した。オーデマがムーブメントの製作・ケースへの取り付け・仕上げを、ピゲが最終的な調整役を担った。
- ジャン・エグラー/アンナ・マリア・ラムザー 西暦1,878年、ビール(現在のスイスのベルン州)に時計工房を設立した夫妻。西暦1,881年にマニュファクチュールへ至り、アンクル脱進機を積んだ小型の婦人用時計に専念した。西暦1,891年8月2日のジャンの死後は、妻ラムザーが息子オットー・ヘルマンの補佐を受けて工房を継いだ。
- ヘルマン・エグラー ジャン・エグラーの息子。西暦1,896年にアンクル脱進機を採用した小型エボーシュムーブメントを作成し、西暦1,902年からの女性用腕時計の量産へと道を開いた。
- レオン・ブライトリング 西暦1,884年、サン・ティミエに時計工房「G.レオン・ブライトリング」を設立した。ホイヤーやアガシと同じ町から興った作り手である。
- ルイ・カルティエ 第3代カルティエ経営者。西暦1,903年、飛行家アルベルト・サントス・デュモンの注文に応じ、フラットなフォルム・四角いベゼル・レザーストラップを備えたカルティエ初の男性用腕時計「サントス」を製作した。
- ポール・カッティン/ジョルジュ・クリスティアン 西暦1,904年6月1日、ヘルシュタイン(現在のスイスのバーゼル州)で閉鎖されたばかりのローナー社の時計工房を買い取り、地元の市長と契約を締結して「オリス」を設立した。社名は近くの小川に因む。
- ハンス・ウィルスドルフ 西暦1,905年、ハットンガーデン(現在のイギリスのロンドンのカムデン区ホルボーン)に時計商社「ウィルスドルフ&デイビス」を設立し、時計の輸入販売を開始した。ジャン・エグラーの機械を輸入して製造販売も行っている。後の「ロレックス」創業者である。
- ジョージ・シャーレン 西暦1,918年11月11日、ゾロトゥルン(スイス)にて「ミドーG・シャレン・アンド・カンパニー・ウォッチ」を設立した。第一次世界大戦の休戦と同じ日付に始まった時計会社である。
- 諏訪精工舎 西暦1,960年12月18日、初代「グランドセイコー」を発売した。本書に登場する唯一の日本の作り手であり、機械式高級時計に新たな地平を開いた。
- カルロ・クロッコ イタリアの時計・宝飾品・革製品メーカー「ビンダグループ」創業家の人物。西暦1,979年に「ウブロ」を設立した。当初は衝撃に強いとの理由から、全てクォーツ時計であった。
- ローランド・シュヴェルトナー 西暦1,990年1月、グラスヒュッテ(現在のドイツのザクセン州)に「ノモス・グラスヒュッテ」を設立した。ランゲが西暦1,845年に選んだ町へ、百四十余年を経て新たな作り手が加わった事になる。
- フェリックス・バウムガルトナー/マーティン・フレイ 時計職人の家庭に生まれた時計師バウムガルトナーと、父が機械製作の基礎研究エンジニア・母が美術の教師であったデザイナーのフレイ。西暦1,997年に「ウルベルク」を創業した。社名は古代メソポタミアの都市「ウル」と、ドイツ語で成果や芸術作品を意味する「ベルク」に由来する。
- リシャール・ミル イタリアのジュエリーブランド、モーブッサンのウォッチ部門及びジュエリー部門のCEOを務めた後、西暦2,001年に「リシャール・ミル」を設立した。本書の年表が結ばれる、最も新しい作り手である。
ブランドと工房の系譜
- ブランパン 西暦1,735年、ジャン・ジャック・ブランパンがヴィルレ(現在のスイスのベルン州)の村民名簿に時計職人として登録された事に始まる。本書が扱う作り手の中で最も古い。
- ヴァシュロン・コンスタンタン 西暦1,755年9月17日、ジャン・マルク・ヴァシュロンがサン・ジェルヴェ(現在のスイスのジュネーヴ州)の工房にイザヤ・ジャン・フランソワ・エティエを雇った事を起点とする時計会社。
- ムーリエ&ボート 西暦1,791年に最初の時計を製作したジャン・フランソワ・ボットが、西暦1,793年8月1日、ジャック・ドーファン・ムーリエと共に設立した会社。
- A.ランゲ&カンパニー 西暦1,845年12月7日、フェルディナント・アドルフ・ランゲがザクセン州高等法院の資金提供を受け、ユリウス・アスマン・アドルフ・シュナイダー・モーリッツ・グロスマンを中心とする15名の見習い工と共にグラスヒュッテへ移住して設立した。
- ランカスターの時計会社群 西暦1,874年設立のアダムス&ペリー・ウォッチ・カンパニーを母体に、ランカスター・ウォッチ・カンパニーとキーストーン・スタンダード・ウォッチ・カンパニーが西暦1,877年に統合して「ランカスター・ペンシルベニア・ウォッチ・カンパニー」となり、西暦1,879年に「ランカスター・ウォッチ」へ再編された。
- ハミルトン・ウォッチ・カンパニー 西暦1,886年にランカスター・ウォッチを買収したキーストン・ウォッチ・カンパニーの資産を元に、西暦1,892年10月、イリノイ州オーロラのオーロラ・ウォッチ・カンパニーを買収して設立された。社名はランカスターの土地の所有者で第24代ペンシルベニア植民地総督を務めたジェームズ・ハミルトンに因む。
- エグラー家の時計工房 西暦1,878年にビールで設立され、西暦1,881年にマニュファクチュールへ。ベールブルグにてアンクル脱進機を積んだ小型の婦人用時計に専念し、西暦1,902年に女性用腕時計の量産を開始した。後のロレックスへ機械を供給する事となる工房である。
- オリス 西暦1,904年6月1日、閉鎖されたばかりのローナー社の時計工房を買い取って設立された。買収から生まれた創業であり、社名は近くの小川に因む。
- ノモス・グラスヒュッテ 西暦1,990年1月、東西ドイツ統一の年にローランド・シュヴェルトナーがグラスヒュッテへ設立した。ランゲが根を下ろした町が、再び新たな作り手を迎えた事を示す。
- ウルベルク 西暦1,997年、フェリックス・バウムガルトナーとマーティン・フレイが創業。名称は古代メソポタミアの都市「ウル」と、ドイツ語で成果や芸術作品を意味する「ベルク」に由来する。
主要な概念・用語
- エタブリサージュ 各パーツや半完成品を、各人の作業が終わると次の工程を請け負う作業者へ回してゆく分業生産の方式。西暦1,832年、オーギュスト・アガシがサン・ティミエに此の方式の工房を設立した。
- エボーシュムーブメント 半完成品の状態のムーブメント。エタブリサージュでは此れを工房間で受け渡しながら時計を仕上げてゆく。西暦1,896年、ヘルマン・エグラーはアンクル脱進機を採用した小型のエボーシュムーブメントを作成した。
- マニュファクチュール 部品から自社で一貫して製造する体制。分業に頼るエタブリサージュと対を成す。西暦1,881年、ジャン・エグラーの時計工房が此れに至った。
- アンクル脱進機 歯車を一定速度で回転させる為の部品。エグラー家は此れを搭載した小型ムーブメントを開発し、西暦1,902年に女性用腕時計の量産を始めた。腕時計普及の鍵となった技術である。
- カナ 歯車と一体になった小さな歯車。西暦1,833年、アントワーヌ・ルクルトが鋼鉄から此れを切り出す機械を発明し、ジャガー・ルクルト創業の礎とした。
- 懐中時計から腕時計へ 時計の主役が懐中から手首へ移る転換。女性用はエグラー家が西暦1,902年に量産を始め、男性用はカルティエ「サントス」(西暦1,903年)が先駆けとなった。
- グラスヒュッテ 嘗て銀採掘で栄え、衰退していたザクセンの町。西暦1,845年にフェルディナント・アドルフ・ランゲが移り住んで以降ドイツ高級時計の中心地となり、西暦1,990年にはノモス・グラスヒュッテも此処に興った。
- 水力発電と工房の集約 時計は自宅や小さな工房で作るのが一般的であった時代に、フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズが唱えた集約生産の構想。時計職人インリッヒ・モーザーが提案した滝の水力発電により、西暦1,868年のIWC設立で形となった。
ブランパンからリシャール・ミルまで──
約三十の作り手が産声を上げた瞬間を一元化。
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