トヨタ自動車の原点
豊田佐吉
一元化
西暦1,885年、一人の大工が発明を志した──
ひたすら織機に挑み続けた発明王こそ、トヨタ自動車の原点であった。
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本書について
西暦1,885年、専売特許条例の公布を新聞で知った一人の大工が、「自分もお国の為に何か発明したい」と志を立てた。遠江国敷知郡山口村(現在の静岡県湖西市)の豊田佐吉、其の人である。農家に通って織機の操作を学ぶ姿は「娘っ子の真似をする変な奴」と陰口を叩かれ、父伊吉には大工に専念せよと幾度も叱責された。それでも佐吉は聞く耳を持たず、村の納屋に絵図面と材料を持ち込んで閉じ籠り、嘲笑を浴びながら織機の研究に没頭した──本書は、此の一人の発明家が、ひたすら織機に挑み続けた生涯と、其の歩みがやがてトヨタ自動車を生むに至る「原点」を、年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,891年、佐吉は自ら発明した木製人力織機で最初の特許(第1195号)を得る。妻の着物を質に入れて生活費を工面する苦境の中、西暦1,896年には、フレームを木・歯車やシャフトを鉄とした「木鉄混製動力織機」を完成させた。横糸が切れれば自動で止まり、1人で4台を動かせる此の織機は、生産性を飛躍的に高めた。そして西暦1,903年、運転を止めずに横糸を自動補充する自働杼換装置を発明する。しかし、飽くなき改良への執念は、納期や営利を優先する出資者・経営陣としばしば衝突し、佐吉は井桁商会や豊田式織機株式会社で、技師長や常務の座を去ることになった。
転機は西暦1,910年のアメリカ・イギリス視察であった。佐吉は東海岸の街を走る自動車に驚き、ニューヨークでは「タカジアスターゼ」で知られる化学者・高峰譲吉を度々訪ねた。「発明家たる者、其の発明が実用化され社会に役立つ迄、決して発明品から離れてはならない」という高峰の言葉は、かつて試作・試験を人任せにして失敗した佐吉の胸を打った。此処から「完全な営業的試験を経ねば、発明の真価を世に問うてはならない」という信念が生まれる。帰国後、独立して織布・紡織の工場を構えた佐吉は、刈谷に試験工場を新設し、西暦1,924年、遂に最高傑作「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」を完成させた。1人で30〜50台を同時に動かせる、世界水準の自動織機であった。
西暦1,926年、佐吉の長女愛子の夫・豊田利三郎を社長、長男・豊田喜一郎を常務として「株式会社豊田自動織機製作所」が設立される。そして西暦1,929年、同社はG型自動織機の特許を、イギリスの名門プラット・ブラザー社へ1,000,000円で譲渡した。此の契約に当たったのが、副社長の喜一郎である。やがて此の特許譲渡金が喜一郎の自動車研究を支える原資となり、自動織機製作所の一部門として始まった自動車事業が、後の「トヨタ自動車」へと結実してゆく。西暦1,930年10月30日、佐吉は脳溢血からの急性肺炎により世を去った──織機に生涯を捧げた一人の発明家こそが、トヨタ自動車の紛れもない原点であった。本書は、其の全軌跡を一冊に束ねた記録である。
登場人物
- 豊田佐吉 本書の主人公。遠江国敷知郡山口村(現在の静岡県湖西市)出身の発明家。西暦1,885年の専売特許条例に触発されて発明を志し、木鉄混製動力織機からG型自動織機まで、生涯を織機の改良に捧げた「発明王」。其の歩みがトヨタ自動車の原点となった。
- 豊田伊吉 佐吉の父。大工であり、織機研究に没頭する佐吉を案じて、大工の仕事に専念させようと幾度も叱責した。一方で佐原たみとの縁談を勧めるなど、息子を気にかけた。
- 豊田ゑい 佐吉の母。岡田波平の下を追い出されて山口村へ戻った佐吉が泣き付くと、若干の金を与えた。其の金が、佐吉の織機研究の再開を支えた。
- 佐原たみ 佐吉の最初の妻。長男喜一郎を産むが、舅夫妻の下に1人取り残される生活に耐えきれず、佐吉と喜一郎を残して実家に帰った。困窮の中、自身の着物を質に入れて生活費を工面したこともあった。
- 林浅子 佐吉の2番目の妻。山口村の林政吉の長女。事務処理に長け、内助の功を発揮して豊田商店を支えた。佐吉が研究に専念する間、弟佐助と共に経営の一翼を担った。
- 豊田喜一郎 佐吉の長男。豊田自動織機製作所の常務・副社長を務め、西暦1,929年のプラット・ブラザー社への特許譲渡に当たった。其の譲渡金を元手に自動車研究を進め、後にトヨタ自動車を創業する。
- 豊田佐助 佐吉の弟。佐吉が織機の研究に専念する間、林浅子と共に豊田商会の織布業を始めとする経営を任された。
- 豊田利三郎 佐吉の長女愛子の夫。西暦1,926年設立の株式会社豊田自動織機製作所の社長に就き、豊田紡織でも常務として実質的な経営を担った。
- 石川藤八 豊田商店の得意先。木鉄混製動力織機の価値を逸早く認めた人物で、西暦1,897年には佐吉と共に乙川綿布合資会社を設立し、資本金と土地・建物を準備した。
- 谷口房蔵 大阪合同紡績会社社長。豊田式織機株式会社の初代社長に就いた。営利よりも改良を優先する佐吉と対立し、其の常務辞任を勧告した。後に自動織機の基本特許を巡り、豊田自動織機製作所とも紛争となった。
- 藤野亀之助 三井物産の幹部(大阪支店長)。佐吉に渡米を勧め、織機視察とアメリカでの特許取得の機会を与えた。豊田紡織株式会社では取締役を務めた。
- 高峰譲吉 ニューヨーク在住の化学者。「タカジアスターゼ」やアドレナリンの研究で知られる。渡米した佐吉に「発明家は、発明が実用化される迄、決して発明品から離れてはならない」と助言し、佐吉の発明哲学に決定的な影響を与えた。
興した会社とトヨタへの系譜
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豊田商店/
豊田商会 西暦1,895年、糸繰返機を販売する為に名古屋市朝日町に設立。西暦1,902年に「豊田商会」と改め、織布業の傍ら織機の研究を続けた。佐吉の事業の出発点である。 -
乙川綿布
合資会社 西暦1,897年、佐吉と石川藤八が愛知県知多郡乙川村(現在の半田市)に設立。佐吉が木鉄混製動力織機60台を手配し、自らの織機を実地で試す場となった。 - 井桁商会 西暦1,899年、三井物産の全額支援を得て設立。社名は三井本家の家紋に由来する。佐吉は技師長として迎えられたが、景気悪化で開発資金が細り、西暦1,901年に退いた。
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豊田式織機
株式会社 西暦1,907年、豊田商会を母体に資本金1,000,000円で設立。日露戦争の好景気で三十八年式動力織機が爆発的に売れた事が背景にあった。佐吉は常務取締役技師長を務めたが、西暦1,910年に去った。 -
豊田自動織布工場
/豊田自動紡織工場 西暦1,911年、佐吉が独立自営で名古屋市西区則武新町に設立。西暦1,914年には良質な糸を確保する為に紡績設備を導入し「豊田自動紡織工場」へ改組した。 -
豊田紡織
株式会社 西暦1,918年、豊田自動紡織工場を株式会社に改組して設立。社長は佐吉、実質的経営は豊田利三郎が担った。佐吉は経営の安定を見届けると、中華民国へ渡って市場調査を行った。 -
株式会社
豊田紡織廠 西暦1,921年、豊田紡織の上海事業を独立させて設立。佐吉は上海と名古屋を往復しながら研究を続け、上海事業は成功を収めた。 -
株式会社豊田
自動織機製作所 西暦1,926年設立。G型自動織機を製造し、西暦1,929年に其の特許をプラット・ブラザー社へ譲渡した。其の譲渡金と社内の自動車部門が、後の「トヨタ自動車」へと連なってゆく。
木製人力織機からG型自動織機まで──
トヨタ自動車を生んだ発明王・豊田佐吉の全軌跡を一元化。
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