電子書籍「トヨタ自動車の原点_豊田佐吉一元化」の表紙

トヨタ自動車の原点_
豊田佐吉一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,885年4月18日〜1,930年10月30日
ページ数
46ページ
文字数
12,554字
最新更新日
西暦2,026年8月22日

村の納屋に閉じ籠った変人が、世界の織機を変えた──
豊田佐吉が織機に懸けた四十五年を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,885年4月18日、高橋是清等により「専売特許条例」が公布された。新聞で此れを知った一人の大工の倅が、自分もお国の為に何か発明したいと発明家を志す。友人と2名で横須賀造船所を訪ね、様々な機械を見て回り、大いに刺激を受けて地元に帰ると、無限動力機械等を作り始めた。豊田佐吉——後にトヨタ自動車へと続く系譜は、此の新聞記事から始まっている。本書は、其の日から西暦1,930年10月30日に佐吉が世を去る迄の四十五年を、特許の出願日と取得日に至る迄、年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,887年、佐吉は大工の仕事の合間を縫って織機の研究を始めた。農家に出向いて織機を操作させて貰う姿は、遠江国敷知郡山口村では「娘っ子の真似をする変な奴」と陰口を叩かれ、変人扱いであった。父豊田伊吉は大工の仕事に専念させる為に何度も叱責し、同年12月には豊橋中八丁の岡田波平の下へ修行に出させたが、佐吉は其処でも織機の研究に没頭し、翌年6月に追い出されて山口村に戻る。母豊田ゑいに泣き付いて若干の金を得ると、村の納屋に絵図面と材料を持ち込んで研究室とし、其処に閉じ籠った。村民からは嘲笑され、資金は友人知人からの借金で繋いだ。西暦1,890年、上野公園の第3回内国勧業博覧会に1ヶ月間通い詰め、最新機械の前に座り込んでスケッチし、機構の理解に努める。同年11月11日、木製人力織機の特許を出願し、翌年5月14日、特許第1195号を取得した。

西暦1,892年に東京市外千束村へ織布工場を構え、翌年、伊吉の勧めで佐原たみと結婚する。然し織布業の経営と発明は困難を極め、たみの着物を質に入れて生活費を捻出する日々であった。西暦1,894年6月11日に長男豊田喜一郎が産まれるが、たみは舅夫妻の下で1人取り残される生活に耐えきれず、佐吉と喜一郎を残して実家に帰った。翌年、糸繰返機の特許(第2472号)を取得し、其れを販売する為に名古屋市朝日町へ「豊田商店」を設立する。そして西暦1,896年、佐吉は「木鉄混製動力織機」を発明した。フレームは木製、歯車やシャフト類は鉄製。杼入れ・筬打ちを人力から動力に替え、横糸が切れたら杼が止まり自動で停止する装置を備えた此の織機は、1人で4台を動かせる様にし、安価且つ生産性と品質の大幅な向上を実現した。得意先の石川藤八は、此れを逸早く認めた男である。

西暦1,897年、事務処理に長けた林浅子と再婚し、9月には石川藤八と「乙川綿布合資会社」を設立する。石川が資本金と土地建物を、豊田が木鉄混製動力織機60台を手配した。西暦1,899年11月には三井物産が量産支援を打診し、10年間の一手販売契約と全額支援により「井桁商会」が設立される。社名は三井本家の家紋に由来し、豊田は技師長として迎えられた。然し翌年から景気悪化で受注が減り、十分な開発資金を得られなくなった佐吉は、西暦1,901年12月に技師長を辞任する。翌年、豊田商店を「豊田商会」と改め、経営を弟豊田佐助と浅子に任せ、自身は研究に専念した。従来の動力織機は、木管の横糸を切らす度に運転を停止しなければならない。其の一点を潰す為に、西暦1,903年、佐吉は織機を動かした儘横糸を自動的に補充する最初の自働杼換装置を発明し、豊田式鉄製自働織機(T型)を製作した。

日露戦争の好景気の中で三十八年式動力織機が爆発的に売れ、西暦1,907年2月9日、資本金1,000,000円で「豊田式織機株式会社」が設立される。社長には大阪合同紡績会社社長の谷口房蔵が就き、豊田は常務取締役技師長となった。豊田商会の従業員・工場・設備・特許権は、全て同社の所有となる。然し佐吉は、受注した織機の納期が近くても、改良すべき所に気が付けば解体して始めからやり直させた。営利を追求する会社の意に反する行動であり、西暦1,910年4月5日、臨時緊急重役会議で常務取締役を辞任する。同年5月、三井物産大阪支店長藤野亀之助の勧めで渡米した佐吉は、街を走る自動車に驚き、東海岸北部の織布工場を見学して、桁違いの工場規模に驚きながらも、其処の織機の欠点を見抜いて自らの発明に自信を深めた。ニューヨークでは高峰譲吉の自宅を度々訪ね、「発明家たる者、其の発明が実用化されて社会的に有用な成果が得られる迄は、決して発明品から離れてはならない」との助言を受ける。過去に無停止杼換式自動織機の試験を人任せにして失敗した反省と此の言葉から、「完全な営業的試験を行わなければ、発明の真価を世に問うてはならない」という信念が生まれた。

西暦1,911年10月、佐吉は独立自営の「豊田自動織布工場」を設立する。仕入れた糸の品質が悪く性能試験を通らない為、西暦1,914年には自ら糸を紡ぐ「豊田自動紡織工場」へ改組し、西暦1,918年1月30日、「豊田紡織株式会社」が設立された。社長は佐吉、常務取締役は長女愛子の夫豊田利三郎、取締役は藤野亀之助、監査役は児玉一造。経営の安定を見届けた佐吉は単身中華民国へ渡り、上海や漢口を巡って市場調査を行い、西暦1,921年11月29日、上海に「株式会社豊田紡織廠」を設立する。そして西暦1,924年、遂に「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」が完成した。高速運転中にスピードを落とす事無く杼を交換し、横糸を自動的に補給する——1人で30〜50台を同時に稼働させられる織機である。豊田式織機株式会社は特許侵害を理由に製造を拒否したが、佐吉は特許権を侵害しない形に改めて稼働させた。西暦1,926年11月17日、「株式会社豊田自動織機製作所」設立。西暦1,929年12月21日、イギリスのプラット・ブラザー社への1,000,000円の特許譲渡契約が結ばれ、其の交渉に当たったのは副社長の豊田喜一郎であった。本書が追うのは、翌々年に佐吉が息を引き取る其の日迄である。然し、世界へ渡った特許と、其の契約を纏めた息子の名を見れば、此の一冊が何の原点を記録した物であるかは明らかであろう。


登場人物

  • 豊田佐吉 本書の中心人物。西暦1,885年の専売特許条例公布を新聞で知って発明家を志し、木製人力織機・糸繰返機・木鉄混製動力織機・環状織機を経て、西暦1,924年に無停止杼換式豊田自動織機(G型)を完成させた。豊田商会・豊田式織機株式会社・豊田紡織株式会社・株式会社豊田紡織廠・株式会社豊田自動織機製作所へと続く事業の礎を築き、西暦1,927年11月12日に勲三等瑞宝章を受章。西暦1,930年10月30日、脳溢血からの急性肺炎により死去した。
  • 豊田伊吉 佐吉の父で大工。織機の研究に没頭する佐吉を、大工の仕事に専念させる為に何度も叱責し、西暦1,887年12月には自身の仲間である豊橋中八丁の岡田波平の下へ修行に出させた。西暦1,893年には、佐原五郎作の妹たみとの結婚を佐吉に勧めている。
  • 豊田ゑい 佐吉の母。西暦1,888年6月、岡田波平の下から追い出されて山口村に戻った佐吉が泣き付いた相手であり、若干の金を与えた。此の金が、村の納屋を研究室に変える元手となった。
  • 佐原たみ 佐原五郎作の妹で、佐吉の最初の妻。西暦1,893年3月に結婚し、翌年6月11日に長男豊田喜一郎を産んだ。然し豊田の実家で舅夫妻の下に1人取り残される生活に耐えきれず、佐吉と喜一郎を残して実家に帰った。
  • 林浅子 遠江国敷知郡山口村の林政吉の長女で、佐吉の後妻。西暦1,897年7月9日に挙式した。事務処理に長け、内助の功を発揮して豊田商店を支え、西暦1,902年以降は豊田佐助と共に豊田商会の経営を担った。
  • 豊田喜一郎 佐吉とたみの長男。西暦1,894年6月11日生まれ。上海と名古屋を往復する佐吉と共に研究に没頭し、西暦1,926年に株式会社豊田自動織機製作所の常務取締役へ就任した。西暦1,929年12月21日、副社長としてイギリスのプラット・ブラザー社への特許譲渡と技術提携契約の交渉に当たっている。
  • 豊田利三郎 佐吉の長女豊田愛子の夫。西暦1,918年設立の豊田紡織株式会社では常務取締役として実質的な経営を担い、西暦1,926年11月17日、株式会社豊田自動織機製作所の社長に就任した。谷口房蔵とは当初友好な取引関係に在ったが、自動織機の基本特許の帰属を巡る紛争により其の関係は消滅した。
  • 豊田佐助 佐吉の弟。西暦1,902年、豊田商店が豊田商会と改められた際、林浅子と共に織布業を始めとする経営を任された。佐吉が織機の研究に専念できたのは、此の分担に因る。
  • 石川藤八 豊田商店の得意先で、西暦1,896年の木鉄混製動力織機を逸早く認めた人物。西暦1,897年9月、佐吉と共に資本金6,000円で乙川綿布合資会社を設立し、資本金と土地・建物を準備した。豊田は其処へ木鉄混製動力織機を60台手配している。
  • 谷口房蔵 大阪合同紡績会社社長。西暦1,907年2月9日に設立された豊田式織機株式会社の社長に就任した。製品の開発・改良を優先させる佐吉に辞任を勧告し、西暦1,910年4月5日の常務取締役辞任に至らしめた人物でもある。
  • 藤野亀之助 三井物産大阪支店長。西暦1,910年5月、豊田式織機株式会社を辞した佐吉に渡米を勧め、織機の視察・比較研究と休養の機会を与えた。西暦1,918年設立の豊田紡織株式会社では取締役を務めている。
  • 高峰譲吉 タカジアスターゼの創製とアドレナリンの抽出で知られる化学者。渡米中の佐吉がニューヨークの自宅を度々訪ねた。「発明家たる者、其の発明が実用化されて社会的に有用な成果が得られる迄は、決して発明品から離れてはならない」との助言は、佐吉の営業的試験への信念を決定付けた。
  • 児玉一造 西暦1,918年1月30日に設立された豊田紡織株式会社の監査役。佐吉を社長、豊田利三郎を常務取締役、藤野亀之助を取締役とする経営陣の一角を占めた。
  • 高橋是清 農商務省工務局商標登録所所長兼専売特許所所長。西暦1,885年4月18日、高橋等により「専売特許条例」が公布され、其れを報じた新聞が、豊田佐吉を発明家の道へと踏み出させた。

発明と会社の系譜

  • 木製人力織機 佐吉の最初の発明。西暦1,890年11月11日に特許出願し、翌年5月14日、特許第1195号を取得した。西暦1,892年には東京市外千束村に此の織機数台の織布工場を設立し、布を織って問屋に卸しながら動力織機の発明を目指した。
  • 糸繰返機 西暦1,894年6月27日出願、翌年2月14日に特許第2472号を取得。特許明細書の住所は「名古屋市朝日町12番戸」寄留であった。此の機械を販売する為に、西暦1,895年、愛知県名古屋市朝日町へ「豊田商店」が設立された。
  • 木鉄混製動力織機 西暦1,896年の発明。フレームは木製、歯車やシャフト類は鉄製で、杼入れ・筬打ちを人力から動力に替えた。横糸が切れたら杼が止まり自動で停止する装置や布の巻き取り装置を備え、1人で4台を動かせる様になり、安価且つ生産性・品質の大幅な向上を実現した。
  • 豊田式鉄製自働織機(T型) 西暦1,903年、織機を動かした儘横糸を自動的に補充する最初の自働杼換装置を発明し、其の装置を搭載して製作された織機。翌年には横糸の補充装置と縦糸切断時の停止装置の開発にも成功している。
  • 豊田式三十八年式織機・三十九年式織機 西暦1,905年1月、縦糸の送り出し装置を備えた木鉄混製の堅牢な三十八年式織機を発明。日露戦争の好景気の中で爆発的に売れ、豊田式織機株式会社設立の契機となった。西暦1,906年10月には、其れを改良し能率と品質を高めた全面鉄製の三十九年式織機を発明している。
  • 軽便織機・環状織機 軽便織機は西暦1,906年、三十九年式織機の廉価版として経糸停止装置を省略した家内工業向けの機種で、注文が殺到するヒット商品となった。同年の環状織機は、杼の動きを回転運動に変えて動力を空費しない理想的な円運動を用いた発明であり、西暦1,907年5月28日に特許第12169号を取得した。
  • 無停止杼換式豊田自動織機(G型) 西暦1,924年完成。高速運転中にスピードを落とす事無く杼を交換して横糸を自動的に補給する自働杼換装置に加え、杼換誘導・横糸切断自働停止・縦糸切断自働停止を備えた。1人で30〜50台を同時に稼働させる事が可能となり、西暦1,929年12月21日、イギリスのプラット・ブラザー社へ1,000,000円で特許譲渡された。
  • 豊田商店・豊田商会 西暦1,895年、糸繰返機の販売の為に名古屋市朝日町へ設立された豊田商店が、西暦1,902年に豊田商会と改称。名古屋市東区武平町・西新町と現在の豊田市島崎町の3ヶ所に工場を建設した。経営は豊田佐助と林浅子に委ねられ、佐吉は研究に専念した。
  • 井桁商会 西暦1,899年11月、三井物産の全額支援により資本金30,000円で設立。木鉄混製動力織機の10年間の一手販売契約を伴い、社名は三井本家の家紋に由来した。豊田は技師長として迎えられたが、景気悪化による受注減で開発資金を得られなくなり、西暦1,901年12月に辞任した。
  • 豊田式織機株式会社 西暦1,907年2月9日、豊田商会の後継会社として資本金1,000,000円で設立。三井物産が東京・大阪・名古屋の有力財界人の資金提供を取り付け、豊田の織機と綿布を世界中へ売り出す事を意図した。社長は谷口房蔵、豊田は常務取締役技師長。後に自動杼換装置の特許(第17028号)の帰属を巡り、豊田と訴訟に至った。
  • 豊田自動織布工場・豊田紡織株式会社 西暦1,911年10月、名古屋市西区則武新町に独立自営の豊田自動織布工場を設立。西暦1,914年に紡績設備を導入して豊田自動紡織工場へ改組し、西暦1,918年1月30日、豊田紡織株式会社となった。従業員は約1,000名、豊田式織機1,008台を擁し、西暦1,921年11月29日には上海の事業を独立させ株式会社豊田紡織廠を設立している。
  • 株式会社豊田自動織機製作所 西暦1,926年11月17日、名古屋市の豊田紡織事務所にて設立総会が開かれ、翌18日に設立登記。社長は豊田利三郎、常務取締役は豊田喜一郎であった。西暦1,929年、プラット・ブラザー社への特許譲渡を実現し、西暦1,930年6月9日には豊田佐吉・豊田式織機株式会社との三者和解が締結された。

専売特許条例の記事から、プラット・ブラザー社への世界特許まで──
豊田佐吉の四十五年、トヨタ自動車の原点を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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