日本の自動車メーカー
創業の歴史
一元化
西暦1,854年、一軒の造船所から始まった──
日本の自動車メーカーを生んだ作り手達の、創業の物語。
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本書について
西暦1,854年、徳川斉昭の命により、大型船の建造を目指して石川島(現在の東京都中央区佃)に「石川島造船所」が設けられた。後に渋沢栄一らが支え、いすゞ自動車へと連なってゆく造船の系譜──日本の自動車産業は、必ずしも「車」から始まったのではなかった。本書は、此処を起点に、西暦2,003年の三菱ふそうに至る迄、日本の自動車メーカーを生んだ作り手達の「創業」の瞬間を、年月日単位で一元化した年表である。
作り手達の出発点は、驚く程に多彩であった。鮎川義介はアメリカで学んだ可鍛鋳鉄の技術を携え、福岡県戸畑町に「戸畑鋳物」を興す。鈴木道雄は浜松で織機を、松田重次郎は広島でコルク栓を、中島知久平は群馬で飛行機を手掛けていた。大阪では国産エンジンを目指す「発動機製造」が、東京では「東京瓦斯電気」がガス灯から身を起こす。鋳物・織機・コルク・飛行機・発動機──やがて此等の技術が、自動車という一点へと収斂してゆく。
昭和に入ると、各社が相次いで自動車へ舵を切る。戸畑鋳物は西暦1,934年に「日産自動車」へ、松田重次郎の東洋工業は西暦1,931年に3輪トラック「マツダ号」を世に送り出した。豊田喜一郎は、父祖の自動織機の技術と特許譲渡金を元手に小型エンジンを研究し、西暦1,937年に「トヨタ自動車工業」を設立する。三菱造船は西暦1,918年に量産を前提とした「三菱A型」を完成させ、後の三菱自動車へと連なっていった。
戦後は、新たな顔ぶれが加わる。本田宗一郎は浜松の小さな木造バラックで原動機付自転車から身を起こし、西暦1,948年に「本田技研工業」を設立した。軍需を断たれた中島飛行機は富士産業を経て、西暦1,953年に「富士重工業」(スバル)として再生する。織機の鈴木はスズキへと姿を変え、富山の一ディーラーであった光岡進は光岡自動車を興した。そして西暦2,003年、三菱自動車工業から「三菱ふそうトラック・バス」が分離独立する──本書は、石川島造船所から三菱ふそうに至る約百五十年、日本の自動車メーカーの創業譚を一冊に束ねた記録である。
登場人物
- 徳川斉昭 西暦1,854年、其の命により、大型船建造を目指す「石川島造船所」が石川島(現在の東京都中央区佃)に設けられた。後にいすゞ自動車へと連なる、本書最古の系譜の起点である。
- 平野富二 東京築地活版製造所主。西暦1,876年、海軍省から石川島修船所の跡地を借り受け「石川島平野造船所」を設立した。後の東京石川島造船所、ひいてはいすゞ自動車へと続く。
- 渋沢栄一 実業家。西暦1,889年に有限責任石川島造船所の常任委員、西暦1,893年には株式会社東京石川島造船所の初代取締役会長に就き、西暦1,909年迄務めた。資金難の同社を第一国立銀行から支えた。
- 安永義章 西暦1,907年3月1日、内燃機関の国産化を目指し、鶴見征四郎・岡實康らと「発動機製造株式会社」を設立した。同年末には日本初の国産エンジンを生み、後のダイハツの礎を築いた。
- 鈴木道雄 西暦1,909年10月、静岡県浜松に「鈴木式織機製作所」を設立。西暦1,920年に株式会社へ改組して社長に就き、後のスズキ(西暦1,954年に「鈴木自動車工業」へ改称)へと発展させた。
- 鮎川義介 アメリカで可鍛鋳鉄の技術を学び、大叔父井上馨の口利きを得て、西暦1,910年6月25日、福岡県戸畑町に「戸畑鋳物株式会社」を設立した。同社は西暦1,934年6月に「日産自動車株式会社」へ社名変更した。
- 中島知久平 西暦1,917年5月、群馬県(現在の太田市)に「飛行機研究所」を設立した。後に中島飛行機製作所と改称され、戦後は富士産業を経て、富士重工業(スバル)へと再生してゆく。
- 松田重次郎 鍛冶屋の丁稚奉公から身を起こした技術者。西暦1,921年に東洋コルク工業の社長に就き、西暦1,927年に「東洋工業株式会社」へ社名変更。西暦1,931年に3輪トラック「マツダ号DA型」を世に出し、後のマツダを築いた。
- 豊田喜一郎 豊田自動織機製作所の技術と特許譲渡金を元手に小型エンジンを研究し、西暦1,933年に同所内へ自動車制作部門を設置。西暦1,937年8月28日、「トヨタ自動車工業株式会社」を設立した。
- 本田宗一郎 西暦1,946年10月、浜松の木造バラックで原動機付自転車を製造する「本田技術研究所」を設立。独自のA型エンジンを開発し、西暦1,948年9月24日、従業員34名で「本田技研工業株式会社」を設立した。
- 光岡進 富山日野自動車でディーラー業務に従事した後、西暦1,968年2月1日に「光岡自動車工業」を設立し、自動車の板金塗装と中古車販売を始めた。
前身企業と現在のブランド
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石川島
造船所 西暦1,854年、大型船建造のため石川島に創設された造船所。後身の東京石川島造船所が、西暦1,916年に東京瓦斯電気工業と共に自動車製造を企画し、其の流れの中から「いすゞ自動車」が生まれた。 - 発動機製造 西暦1,907年、内燃機関の国産化を目指して大阪に設立された会社。同年末に日本初の国産エンジン「6馬力吸入ガス発動機」を生み、後のダイハツの前身となった。
- 鈴木式織機 西暦1,909年、鈴木道雄が静岡県浜松に設立した織機メーカー。西暦1,954年に「鈴木自動車工業株式会社」へ社名変更し、スズキへと発展した。
- 戸畑鋳物 西暦1,910年、鮎川義介が福岡県戸畑町に設立した可鍛鋳鉄工場。西暦1,931年にダット自動車製造を買収し、西暦1,934年6月に「日産自動車株式会社」へ社名変更した。
- 中島飛行機 西暦1,917年、中島知久平が創設した飛行機メーカー。戦後、富士産業を経て分社化され、西暦1,953年に其の内5社が「富士重工業株式会社」を設立した。スバルの母体である。
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三菱造船/
三菱重工業 西暦1,918年に量産前提の「三菱A型」を、西暦1,932年にバス「ふそう」を生んだ。西暦1,970年にクライスラーの資本参加を機に「三菱自動車工業」が独立し、西暦2,003年には「三菱ふそうトラック・バス」が分離した。 -
東洋コルク工業
/東洋工業 西暦1,920年に広島で設立されたコルク栓製造会社。松田重次郎の下で西暦1,927年に「東洋工業」へ転換し、西暦1,931年の3輪トラック「マツダ号DA型」を経て、自動車メーカー「マツダ」へと成長した。 -
豊田自動織機
製作所 自動織機メーカー。其の社内に西暦1,933年に設けられた自動車制作部門が母体となり、西暦1,937年8月28日に「トヨタ自動車工業株式会社」が独立・設立された。 -
ヂーゼル
自動車工業 東京瓦斯電気工業の系譜を汲む東京自動車工業が、西暦1,941年に「ヂーゼル自動車工業」へ社名変更。其の日野製造所が西暦1,942年に分離独立し「日野重工業株式会社」(後の日野自動車)となった。 -
本田技術
研究所 西暦1,946年、本田宗一郎が浜松の木造バラックに設立した原動機付自転車の製造所。独自のエンジンを開発し、西暦1,948年に「本田技研工業株式会社」へ改組した。
石川島造船所から三菱ふそうまで──
十二社の自動車メーカーが産声を上げた瞬間を一元化。
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