電子書籍「日本の自動車メーカー創業の歴史一元化」の表紙

日本の自動車メーカー
創業の歴史
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,854年1月3日〜2,003年1月6日
ページ数
49ページ
文字数
7,625字
最新更新日
西暦2,026年8月16日

西暦1,854年、全ては一軒の造船所から始まった──
日本の自動車メーカー創業の百五十年を一元化。

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本書について

西暦1,854年1月3日、徳川斉昭の命により、大型船建造を意図して石川島(現在の東京都中央区佃)に「石川島造船所」が設立された。日本の自動車産業の年表は、車ではなく船から始まる。西暦1,876年10月、東京築地活版製造所主で横浜製鉄所の共同経営者でもあった平野富二が、石川島修船所の跡地を海軍省から借用して「石川島平野造船所」を興し、造船技術者不足に悩んだ末、友人杉山徳三郎の紹介で福澤諭吉に接触し、塾生からの人材紹介を頼んだ。西暦1,889年1月17日には有限責任石川島造船所へ改組され、平野・渋沢栄一・梅浦精一が常任委員に就く。資金難の同社を、第一国立銀行の渋沢と第十八国立銀行の松田源五郎が支えた。西暦1,893年9月5日、株式会社東京石川島造船所となり、渋沢が初代取締役会長に就任する——本書は、此処を起点として、西暦2,003年の三菱ふそうトラック・バス設立に至る迄、日本の自動車メーカーを生んだ作り手達の創業の瞬間を、年月日単位で一元化した記録である。

作り手達の出発点は、驚く程に多彩であった。西暦1,888年頃、正規の学校教育を受けられなかった松田重次郎は、阿波座の鍛冶屋「藤孫」で丁稚奉公を始め、大阪市内の鍛冶屋を転々としながら旋盤工具を使う機械鍛冶の腕を磨き、大阪砲兵工廠・長崎三菱造船所・佐世保海軍工廠・呉海軍工廠を渡り歩いた。西暦1,905年9月に芝浦製作所を辞した鮎川義介は、同年11月、客船「ダコタ丸」の4等船室でアメリカへ渡り、翌年1月からバッファローの可鍛鋳鉄工場「グルド・カプラー」で週給5ドルの見習工として働く。西暦1,907年3月1日には、大阪高等工業高校校長安永義章と機械科長鶴見征四郎らが、内燃機関の国産化を目指して「発動機製造株式会社」を設立し、同年12月、日本初の国産エンジン「6馬力吸入ガス発動機」を生んだ。西暦1,909年10月には鈴木道雄が浜松に「鈴木式織機製作所」を、西暦1,910年8月1日には東京府からの瓦斯局払い下げで「東京瓦斯電気株式会社」が設立される。鍛冶・鋳物・発動機・織機・瓦斯——後に自動車へ収斂する技術は、此の頃それぞれの現場で育っていた。

西暦1,910年6月25日、鮎川義介は大叔父井上馨の口利きで久原鉱業・貝島太助・藤田文・三井物産から資金を得て、福岡県遠賀郡戸畑町に可鍛鋳鉄工場「戸畑鋳物株式会社」を設立する。西暦1,916年には東京石川島造船所と東京瓦斯電気工業が自動車製造を企画し、其の流れからいすゞ自動車が生まれた。西暦1,917年5月、中島知久平が群馬に「飛行機研究所」を設立。同年7月頃には陸軍の要請に応じ、荘田泰蔵らがフィアットA3ー3型車を参考に三菱造船神戸造船所で4輪乗用車の試作を開始し、西暦1,918年11月、量産を前提とした「三菱A型」が完成する。西暦1,920年1月30日には、経営難のコルク栓製造会社を救済すべく広島に「東洋コルク工業株式会社」が設立され、海塚新八が初代社長、重役の1人に松田重次郎が名を連ねた。翌西暦1,921年3月、松田は体調不良の海塚に代わり第2代社長に就任する。

西暦1,923年9月1日11時58分、関東大震災が発生した。豊田喜一郎は此の時、鉄道省技師で第二高等学校・東大時代の同窓であった坂薫を訪ね、自動車に関する話をしていた。本書は此の一日を、震災復興外債を巡って第23代大蔵大臣井上準之助がクーン・ローブ商会ではなくJ.P.モルガン商会を選んだ経緯、そして高輪御殿と共に焼失した日御座の御剣に代わり、後鳥羽上皇の菊御作の御太刀が即位の御剣に選ばれ、六角紫水・松田権六・清水南山らの手で黄金の装飾が施された次第まで、同じ年表の上に並べて記録している。震災と火災は東洋コルク工業の業績を圧迫し、西暦1,925年の工場設備70%焼失を機に、松田重次郎は機械製造への進出を検討し始めた。西暦1,927年に「東洋工業株式会社」へ社名変更、西暦1,931年には広島県安芸郡府中村に新工場を設け、同年10月、完全自社開発の3輪トラック「マツダ号DA型」の生産を開始する。

西暦1,929年9月、豊田喜一郎はプラット社からG型自動織機の特許権譲渡の依頼を受けて渡英し、其の機会にアメリカでフォードやゼネラルモーターズの大量生産方式を、更にヨーロッパで自動車工業の実態を視察した。栄華を誇ったプラット社の凋落を目の当たりにした豊田は、繊維機械メーカーの将来性に疑念を抱く。譲渡金100,000ポンドの内25,000ポンドを従業員へ分配し、残りを工作機械の購入等、自動車製造への投資に充てた。西暦1,930年10月には4馬力の小型エンジンの開発に成功。西暦1,933年9月1日、豊田利三郎ら役員の反対を押し切って豊田自動織機製作所内に自動車制作部門を設置し、外国車と価格・性能の両面で対抗する事、アメリカ式大量生産を学びつつ国情に合った方式を考案する事、基礎工業の弱点を内製化で克服する事を方針に掲げた。シボレー車の分解調査を経て、西暦1,934年9月25日にA型エンジンの試作第1号、翌年5月にA1型試作乗用車が完成する。そして西暦1,937年8月28日、「トヨタ自動車工業株式会社」が設立された。同じ頃、戸畑鋳物は西暦1,931年8月にダット自動車製造を買収し、西暦1,934年6月「日産自動車株式会社」へ社名を改めている。

戦後、更に新しい顔が加わる。西暦1,945年8月15日、第4代軍需大臣豊田貞次郎が中島飛行機の生産停止を命じ、同月17日、中島飛行機製作所は「富士産業株式会社」と改称された。同社は西暦1,950年に12社へ分社化され、其の内5社の共同出資により西暦1,953年7月15日「富士重工業株式会社」が設立される。西暦1,946年9月頃、本田宗一郎は旧陸軍の無線用小型エンジンで補助付き自転車を作って試走し、同年10月、浜松の99.1736㎡足らずの木造バラックで原資450,000円の「本田技術研究所」を興した。西暦1,947年に独自の50cc・0.5馬力のA型エンジンの生産を始め、西暦1,948年9月24日、従業員34名・資本金1,000,000円で「本田技研工業株式会社」を設立する。織機の鈴木は西暦1,954年6月に「鈴木自動車工業株式会社」へ、三菱は西暦1,970年4月22日にクライスラーの資本参加を機に「三菱自動車工業株式会社」を独立させ、西暦2,003年1月6日「三菱ふそうトラック・バス株式会社」が分離した。西暦1,968年2月1日には、富山日野自動車のディーラーであった光岡進が「光岡自動車工業」を興している。一軒の造船所から始まった百五十年の連鎖を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 徳川斉昭 西暦1,854年1月3日、其の命により、大型船建造を意図して石川島に「石川島造船所」が設立された。後に東京石川島造船所を経ていすゞ自動車へと連なる、本書最古の系譜の起点である。
  • 平野富二 東京築地活版製造所主で、横浜製鉄所の共同経営者。西暦1,876年10月、石川島修船所の跡地を海軍省から借用して「石川島平野造船所」を設立した。造船技術者不足に悩み、杉山徳三郎の紹介で福澤諭吉に接触して塾生の紹介を依頼した逸話も残る。
  • 渋沢栄一 西暦1,889年1月17日、有限責任石川島造船所の常任委員に平野富二・梅浦精一と共に就任。西暦1,893年9月5日の株式会社移行に際して初代取締役会長となり、以降何度も再任されて西暦1,909年7月13日迄務めた。第一国立銀行から資金難の同社を支えた。
  • 松田重次郎 西暦1,888年頃に阿波座の鍛冶屋「藤孫」で丁稚奉公を始め、大阪砲兵工廠や呉海軍工廠を渡り歩いて機械鍛冶の腕を磨いた。水道用ポンプ「松田式喞筒」で名を上げ、西暦1,921年3月に東洋コルク工業の第2代社長へ。西暦1,927年に「東洋工業株式会社」と改称し、マツダの礎を築いた。
  • 安永義章 大阪高等工業高校校長。西暦1,907年3月1日、機械科長鶴見征四郎、東大時代の同窓である岡實康・桑原政らと共に、内燃機関の国産化を目指して「発動機製造株式会社」を設立した。同年12月、日本初の国産エンジンを生んだ会社である。
  • 鈴木道雄 西暦1,909年10月、静岡県浜名郡天神町村に「鈴木式織機製作所」を設立。西暦1,920年3月15日、資本金500,000円で株式会社へ改組し、取締役社長に就任した。同社は西暦1,954年6月に「鈴木自動車工業株式会社」へ社名変更する。
  • 鮎川義介 西暦1,905年に芝浦製作所を退職し、客船「ダコタ丸」の4等船室でアメリカへ渡り、バッファローの可鍛鋳鉄工場で見習工として働いた。帰国後、大叔父の井上馨に可鍛鋳鉄の将来性を説き、其の口利きで西暦1,910年6月25日、福岡県戸畑町に「戸畑鋳物株式会社」を設立した。
  • 井上馨 鮎川義介の大叔父。可鍛鋳鉄の将来性を説かれ、久原鉱業・貝島太助・藤田文・三井物産からの資金提供を取り持った。戸畑鋳物、ひいては日産自動車の誕生を後押しした人物である。
  • 中島知久平 西暦1,917年5月、群馬県新田郡尾島町前小屋に「飛行機研究所」を設立。同年12月に太田町へ移して呑龍工場を設け、西暦1,918年4月「中島飛行機製作所」と改称した。西暦1,945年8月17日、第5代軍需大臣に就任している。同社は富士産業を経て、富士重工業へと再生した。
  • 荘田泰蔵 西暦1,917年7月頃、陸軍の要請に応じ、フィアットA3ー3型車を参考として三菱造船神戸造船所で4輪乗用車の試作を開始した。此の試作が、西暦1,918年11月完成の量産前提の乗用車「三菱A型」へと結実する。
  • 豊田喜一郎 西暦1,929年9月、G型自動織機の特許権譲渡を機に欧米の自動車工業を視察し、繊維機械の将来性に疑念を抱いた。譲渡金を工作機械へ投じ、西暦1,933年9月1日、役員の反対を押し切って豊田自動織機製作所内に自動車制作部門を設置。西暦1,937年8月28日「トヨタ自動車工業株式会社」を設立した。
  • 大島理三郎 豊田自動織機製作所の取締役。西暦1,933年6月、自動車製造用工作機械の購入の為アメリカへ派遣され、ボーリングマシンやプレス機を買い付け、最新式のクライスラー社デソートを持ち帰った。此の車が豊田喜一郎の試作車の方向性を決めた。
  • 本田宗一郎 西暦1,946年9月頃、旧陸軍の無線用小型エンジンで補助付き自転車を作って試走。同年10月、浜松の木造バラックで原資450,000円の「本田技術研究所」を設立した。独自の50cc・0.5馬力のA型エンジンを開発し、西暦1,948年9月24日「本田技研工業株式会社」を設立した。
  • 豊田貞次郎 第4代軍需大臣。西暦1,945年8月15日、第一軍需工廠長官中島喜代一に対し、中島飛行機の生産停止命令を下した。此れを機に同社は富士産業へと改称され、戦後の分社化と富士重工業設立へ向かう。
  • 光岡進 富山日野自動車でディーラー業務に従事していた人物。西暦1,968年2月1日に「光岡自動車工業」を設立し、自動車の板金塗装と中古車販売から事業を始めた。本書が扱う創業史の中では最も新しい世代に属する。

前身企業と現在のブランド

  • 石川島造船所 西暦1,854年1月3日、大型船建造を意図して石川島に設立。石川島平野造船所・有限責任石川島造船所を経て、西暦1,893年9月5日「株式会社東京石川島造船所」となる。西暦1,916年、東京瓦斯電気工業と共に自動車製造を企画し、其の流れの中から「いすゞ自動車」が生まれた。
  • 発動機製造 西暦1,907年3月1日、安永義章・鶴見征四郎・岡實康・桑原政・竹内善次郎らが内燃機関の国産化を目指して設立。同年12月、日本初の国産エンジン「6馬力吸入ガス発動機」を発明した、ダイハツの前身である。
  • 鈴木式織機 西暦1,909年10月に鈴木道雄が浜松で創業した「鈴木式織機製作所」に始まり、西暦1,920年3月15日に株式会社化。西暦1,954年6月「鈴木自動車工業株式会社」へ社名変更し、スズキへと発展した。
  • 戸畑鋳物 西暦1,910年6月25日、鮎川義介が福岡県遠賀郡戸畑町に設立した可鍛鋳鉄工場。西暦1,931年8月にダット自動車製造株式会社を買収し、翌年4月に銀座へダット自動車商会を構え、西暦1,934年6月「日産自動車株式会社」へ社名変更した。
  • 東京瓦斯電気工業 西暦1,910年8月1日、東京府からの瓦斯局払い下げにより業平橋付近に設立。ガスマントル・ペンダント等を扱い、西暦1,913年に「東京瓦斯電気工業株式会社」へ改称して電気製品分野にも進出した。其の自動車部が、西暦1,937年4月9日に東京自動車工業株式会社を設立する母体となる。
  • 中島飛行機 西暦1,917年5月に中島知久平が設立した飛行機研究所に始まり、西暦1,918年4月「中島飛行機製作所」と改称。西暦1,945年8月17日に富士産業株式会社となり、西暦1,950年に12社へ分社化された。其の内5社の共同出資により、西暦1,953年7月15日「富士重工業株式会社」が設立される。
  • 三菱造船/三菱重工業 西暦1,918年11月に神戸造船所で量産前提の「三菱A型」を完成させ、西暦1,932年5月には全長7m・38人乗り100馬力の大型バスを開発、社内公募で日本の別称に因み「ふそう」と命名した。西暦1,934年4月に三菱重工業へ改称し、西暦1,970年4月22日、クライスラーの資本参加に伴い自動車部門が「三菱自動車工業株式会社」として独立した。
  • 東洋コルク工業/東洋工業 西暦1,920年1月30日、経営難のコルク栓製造会社を救済する為、広島の地元財界により設立。松田重次郎の下で圧縮コルク板の事業を広げたが、火災と震災の影響で機械製造へ転換し、西暦1,927年「東洋工業株式会社」へ改称。西暦1,931年10月、3輪トラック「マツダ号DA型」の生産を開始した。
  • 豊田自動織機製作所 自動織機メーカー。西暦1,929年の特許譲渡金を元手に社内へ個人研究所が設けられ、西暦1,933年9月1日に自動車制作部門が設置された。A型エンジン・A1型試作乗用車を経て、西暦1,937年8月28日に「トヨタ自動車工業株式会社」が設立され、翌年11月3日に挙母工場が竣工した。
  • ヂーゼル自動車工業 西暦1,937年4月9日、東京瓦斯電気工業の自動車部が自動車工業株式会社・協同国産自動車株式会社と合併して東京自動車工業株式会社となり、西暦1,941年4月30日「ヂーゼル自動車工業株式会社」へ改称。同年設けた日野製造所が西暦1,942年5月1日に分離独立し「日野重工業株式会社」となった。
  • 本田技術研究所 西暦1,946年10月、本田宗一郎が浜松の木造バラックに設立した原動機付自転車の製造・販売所。旧陸軍のエンジンを買い集めて客の自転車に取り付ける事から始まり、独自のA型エンジンとベルトコンベアラインを経て、西暦1,948年9月24日「本田技研工業株式会社」へ改組した。
  • 光岡自動車工業 西暦1,968年2月1日、光岡進が設立。自動車の板金塗装と中古車販売から出発した、本書が記録する創業の掉尾を飾る一社である。

鍛冶屋・織機・コルク・飛行機から──
トヨタ・日産・ホンダを生んだ作り手達の創業譚を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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