イタリアの
自動車メーカー
創業の歴史
一元化
西暦1,885年、全ては一台の自転車から始まった──
イタリア自動車メーカー創業の七十四年を一元化。
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本書について
西暦1,885年、エドアルド・ビアンキがミラノに自転車工房を開いた。三年後の西暦1,888年10月には、時計職人ジョヴァンニ・チェイラーノの長男ジョヴァンニ・バッティスタ・チェイラーノが、父の下での修行を経てトリノで自転車製造を始める。ブランド名は、英語の方が販売上の訴求力が有った為「ウェルアイズ」と名付けられた。更に西暦1,897年頃、鉄道員ロドルフォ・マセラティの長男カルロ・マセラティが、ミラノのアッフォリで、4ストローク単気筒エンジンを補強した自転車フレームに載せている。イタリアの自動車産業は、工場からではなく、自転車の工房から立ち上がった——本書は、其の二輪の技術が跳ね馬と猛牛に至る迄の七十四年を、年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,898年10月23日、ジョヴァンニ・バッティスタ・チェイラーノと、其の参男マッテオ・チェイラーノが「チェイラーノGB&C」を共同設立する。伯爵エマヌエーレ・ディ・ブリケラージオと弁護士チェーザレ・ゴリア・ガッティも参画し、同社のパンフレットには、簿記係として一人の若者の名が載った。フィンチェンツォ・ランチアである。彼は此処で機械工学の基礎を独学的に吸収した。同年12月15日、技師アリスティデ・ファッチョーリが設計した小型2人乗り自動車ウェルアイズが「ロトモビル誌」創刊号で紹介される。水平対向2気筒・革ベルト伝動・2速変速機を備えた此の車が、翌西暦1,899年7月11日に正式設立されたフィアット社に引き継がれ、「フィアット4HP」として世に出た。同社は設立に当たりチェイラーノGB&Cの工場・特許・工員を買収しており、同月25日には会社そのものがジョヴァンニ・アニェッリへ売却されている。
ランチアは、簿記係から花形ドライバーへと転じた。西暦1,900年7月1日、パドヴァ発の220km耐久レースでフィアット6HPを駆り初勝利を収め、西暦1,904年9月4日にはブレシアのコッパ・フローリオで、平均時速約115.7km/hを記録して優勝する。西暦1,905年10月14日のアメリカ・ヴァンダービルト・カップでは、トップを走りながら第8周でウォルター・クリスティの車に追突され、後輪2本の修理に30〜40分を要して4位に終わった。翌年再挑戦して2位。そして西暦1,906年11月27日、ランチアは同僚のテストドライバーであるクラウディオ・フォゴリンを誘い、両者が50,000リラずつ出資して、トリノのオルメア通りとドニゼッティ通りの交差点に「ランチア商会自動車製作所」を設立した。
ミラノ側の系譜は、フランス資本から始まる。西暦1,906年2月26日、アレクサンドル・ダラックがイタリア進出の為、現地投資家ウーゴ・ステッラと共に「ダラック社」を設立し、ポルテッロに工場を構えた。西暦1,909年9月頃、常務取締役となったステッラは技師ジュゼッペ・メロージに新型車の設計を依頼し、ミラノ農業銀行から500,000リラの融資を取り付けた上で、年末に経営難の同社を清算する。そして西暦1,910年6月24日、「ロンバルダ自動車製造株式会社」が設立された。ポルテッロ工場を引き継ぎ、メロージ設計の第1号車24HPを発表し、ミラノ市の赤十字とヴィスコンティ家の大蛇(ビショーネ)を組み合わせたエンブレムを掲げる。後のアルファロメオである。同じ年、フィアットとビアンキでテストドライバー・レーサーを務めたカルロ・マセラティが結核で世を去った。其の遺志は弟達が継ぐ。西暦1,914年12月1日、四男アルフィエーリ・マセラティと六男エットレ・マセラティが、ボローニャのヴィア・デ・ペポリに整備工場兼レース用エンジンのチューニング工房を開いた。
西暦1,919年、エンツォ・フェラーリがCMN(国立機械製作)にテスト兼レースドライバーとして入り、パルマ-ポッジョ・ディ・ベルチェート間のヒルクライムでデビューする。翌年アルファロメオへ移った彼は、西暦1,923年6月17日、ラヴェンナのサヴィオ・サーキットで優勝し、第一次世界大戦のエース・パイロットであるフランチェスコ・バラッカの母から、其の機体に描かれていたカヴァリーノ・ランパンテの紋章を贈られた。西暦1,929年11月16日、モデナに「スクーデリア・フェラーリ」を設立。アルファロメオが経営難でレース活動から退くと、スクーデリアは事実上のワークス・チームとなり、タツィオ・ヌヴォラーリ等を擁して黄金期を築く。然し西暦1,938年1月1日、レース部門は「アルファ・コルセ」として内製化され、スクーデリアは吸収された。西暦1,939年9月6日、エンツォは「フェラーリ」の名を4年間使わないという条件を課されて同社を離れ、モデナに「AAC(自動車・航空機製作)」を設立する。名を封じられた儘、西暦1,940年4月28日には「アウト・アヴィオ・コストルツィオーニ815」をミッレミリアへ送り出した。西暦1,947年3月12日16時頃、ボディも載らぬ剥き出しのシャシーでフェラーリ・125Sがマラネッロの工場を出て、フォルミージネ方面へ数km走る。フェラーリの名を冠した車の、初めての走行であった。
戦後、更に三つの名が加わる。家業の金物店から鋼管事業へ進んだフェルディナンド・イノチェンティは、西暦1,933年11月3日に「鋼管応用フラテッリ・イノチェンティ株式会社」を興し、後のランブレッタへ繋がる基盤を築いた。二輪の欧州選手権を5度制したカルロ・アバルトは、西暦1,938年頃の大事故でライダー生命を絶たれ、チジタリアのスポーティング・ディレクターを経て、同社の崩壊で受け取った204スポーツカーを元手に、西暦1,949年3月31日「アバルト&C.」を設立する。エンブレムは自身の星座であるさそり座であった。ロドス島で整備兵を務め、捕虜となって帰国したフェッルッチオ・ランボルギーニは、西暦1,948年2月3日、軍余剰品を再利用したトラクター「カリオカ」を発表し「ランボルギーニ・トラットーリ」を設立した。そして西暦1,959年12月12日、F1を走ったアレハンドロ・デ・トマソが、プロトタイプとレーシングカーの製造を志してモデナに「デ・トマソ社」を構える。一台の自転車から始まった連鎖が、世界を代表する自動車産業へと結実する迄——其の全軌跡を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- エドアルド・ビアンキ 西暦1,885年、ミラノで自転車工房を創業した人物。本書が扱う創業史の出発点に立つ。ビアンキ社は後に自動車部門を持ち、西暦1,907年にはカルロ・マセラティとアルフィエーリ・マセラティが同部門に移って、ドライバーとして活動した。
- ジョヴァンニ・バッティスタ・チェイラーノ 時計職人ジョヴァンニ・チェイラーノの長男。西暦1,888年10月、父の下での修行を経てトリノで自転車製造を開始し、英語の訴求力を狙って「ウェルアイズ」の名を掲げた。西暦1,898年10月23日、参男マッテオ・チェイラーノと「チェイラーノGB&C」を共同設立する。其の工場・特許・工員は、翌年フィアット社に買収された。
- アリスティデ・ファッチョーリ チェイラーノGB&Cの技師。小型2人乗り自動車ウェルアイズを設計した。水平対向の2気筒エンジン・革ベルトによる伝動・2速の変速機を備えた此の車は、西暦1,898年12月15日、「ロトモビル誌」の創刊号で紹介され、後にフィアット4HPとなる。
- フィンチェンツォ・ランチア チェイラーノGB&Cの見習いとして携わり、同社のパンフレットに簿記係として記載された。此処で機械工学の基礎を独学的に吸収し、フィアットの花形ドライバーとしてコッパ・フローリオを制する。西暦1,906年11月27日、クラウディオ・フォゴリンと共にトリノで「ランチア商会自動車製作所」を設立した。
- クラウディオ・フォゴリン フィアット社のテストドライバー。西暦1,906年11月27日、同僚のフィンチェンツォ・ランチアの誘いに応じ、両者が50,000リラずつ出資して「ランチア商会自動車製作所」を設立した、ランチアの共同創業者。
- ジョヴァンニ・アニェッリ 西暦1,899年7月11日に正式設立されたフィアット社の書記。同年12月にイタリア王冠勲章のカヴァリエーレに叙され、同月25日、設計図・特許ごとチェイラーノGB&Cの譲渡を受けた。イタリア最大の自動車メーカーとアニェッリ家の礎を築いた人物。
- カルロ・マセラティ 鉄道員ロドルフォ・マセラティの長男。西暦1,897年頃、アッフォリで4ストローク単気筒エンジンを補強した自転車フレームに載せ、侯爵ミケーレ・カルカーノの資金提供でオートバイの生産に至った。フィアット社のテストドライバー、ビアンキ社のドライバー、ジュニア社のマネージャーを歴任し、弟達を自動車の世界へ導いたが、西暦1,910年に結核で死去した。
- アルフィエーリ・マセラティ ロドルフォ・マセラティの四男。兄カルロの推薦でイソッタ・フラスキーニ社に入り、ボローニャの顧客サービス責任者やブエノスアイレスでの事業監督を務めた。西暦1,914年12月1日、弟エットレと共にボローニャのヴィア・デ・ペポリに「ソチエタ・アノニマ・オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ」を設立した、マセラティの創業者。
- エットレ・マセラティ ロドルフォ・マセラティの六男。西暦1,908年に兄カルロの手でジュニア社に雇い入れられ、弐男ビンド・マセラティの勧めでイソッタ・フラスキーニ社に移った。西暦1,914年12月1日、兄アルフィエーリと共にボローニャの工房を設立した共同創業者。
- ウーゴ・ステッラ カヴァリエーレの称号を持つミラノの投資家で、ダラック社の常務取締役。技師ジュゼッペ・メロージに新型車の設計を依頼し、ミラノ農業銀行の融資を得て同社を清算した上で、西暦1,910年6月24日「ロンバルダ自動車製造株式会社」を設立した。アルファロメオの直接の源流を作った人物。
- ジュゼッペ・メロージ ウーゴ・ステッラに招かれた技師。12HP・24HP級の新型車を設計し、其の24HPがロンバルダ自動車製造株式会社の第1号車として発表された。ミラノ市の赤十字とヴィスコンティ家の大蛇を組み合わせたエンブレムも、同じ時に採用されている。
- エンツォ・フェラーリ 西暦1,919年にCMNでレースデビューし、翌年アルファロメオに加入。西暦1,923年6月17日、バラッカ伯爵夫人からカヴァリーノ・ランパンテの紋章を贈られた。西暦1,929年11月16日にスクーデリア・フェラーリを設立するも、西暦1,939年、名を4年間使わない条件でアルファロメオを離れてAACを興し、西暦1,947年3月12日、遂に自らの名を冠した車を走らせた。
- フェルディナンド・イノチェンティ イノチェンティ金物店の経営に加わり、父ダンテ・イノチェンティ、異母兄ロゾリーノ・イノチェンティと家業を率いた。鋼管の応用を追求してローマとミラノに拠点を築き、西暦1,933年11月3日「鋼管応用フラテッリ・イノチェンティ株式会社」として改組する。後のスクーター「ランブレッタ」に繋がる礎を作った。
- カルロ・アバルト カロッツェリア・カスターニャで二輪・自転車のフレーム設計に従事した後オーストリアに移り、二輪の欧州選手権を5度制覇した。西暦1,938年頃の大事故でライダー生命を絶たれ、チジタリアのスポーティング・ディレクターを経て、西暦1,949年3月31日「アバルト&C.」を設立。自身の星座であるさそり座をエンブレムに掲げた。
- ピエロ・ドゥジオ 自動車メーカーであるチジタリアを率いた実業家。フランスで収監されていたフェルディナント・ポルシェの保釈金を立て替え、其の見返りにポルシェ設計陣の協力を得た。西暦1,949年、F1車Tipo 360を持ち出してアルゼンチンへ渡り、チジタリアは崩壊。残された車両がアバルト創業の元手となった。
- フェッルッチオ・ランボルギーニ 西暦1,940年にイタリア空軍へ召集され、ロドス島の駐屯地で整備兵を務め、後に車両整備部門の監督者となった。西暦1,945年の降伏で捕虜となりイギリス軍の車両整備部門に配属される。帰国後の西暦1,948年2月3日、軍余剰品を再利用したトラクター「カリオカ」を発表し「ランボルギーニ・トラットーリ」を設立した。
- アレハンドロ・デ・トマソ 西暦1,957年1月13日、スクーデリア・チェントロ・スッドからフェラーリ500を駆ってF1世界選手権にデビューし、マセラティ250FやクーパーT43でも走った。西暦1,959年、プロトタイプとレーシングカーの製造を意図して、モデナに「デ・トマソ社」を設立した。
会社・ブランドの系譜
- ビアンキ 西暦1,885年、エドアルド・ビアンキがミラノで創業した自転車工房が源流。後に自動車部門を持ち、西暦1,907年にはカルロ・マセラティとアルフィエーリ・マセラティが同部門へ移り、コッパ・フローリオやカイザープライスを走った。
- ウェルアイズ/チェイラーノGB&C 西暦1,888年10月にジョヴァンニ・バッティスタ・チェイラーノがトリノで掲げた自転車ブランド「ウェルアイズ」に始まり、西暦1,898年10月23日「チェイラーノGB&C」として法人化。翌年、工場・特許・工員がフィアット社に買収され、会社自体もジョヴァンニ・アニェッリへ売却された。
- フィアット 西暦1,899年7月1日の予備合意を経て、同月11日にトリノで正式設立。社長ルドヴィコ・スカルフィオッティ、副社長エマヌエーレ・カケラーノ・ディ・ブリケラージオ、書記ジョヴァンニ・アニェッリで発足した。ウェルアイズは「フィアット4HP」として送り出され、フィンチェンツォ・ランチアやフェリーチェ・ナッザーロを擁するレースチームも組まれた。
- ランチア 西暦1,906年11月27日、フィアットのテストドライバーであったフィンチェンツォ・ランチアとクラウディオ・フォゴリンが、各50,000リラを出資してトリノに設立した「ランチア商会自動車製作所」が始まり。
- ダラック社 西暦1,906年2月26日、フランスの自動車メーカーであるアレクサンドル・ダラックが、イタリア進出の為に現地投資家ウーゴ・ステッラと設立。ミラノ郊外のポルテッロに工場を構えたが、西暦1,909年末に経営難で清算された。其の工場が次の会社へ引き継がれる。
- ロンバルダ自動車製造株式会社 西暦1,910年6月24日、ウーゴ・ステッラがポルテッロ工場を引き継いで設立。ジュゼッペ・メロージ設計の第1号車24HPを発表し、ミラノ市の赤十字とヴィスコンティ家の大蛇を組み合わせたエンブレムを採用した。後のアルファロメオである。
- イソッタ・フラスキーニ ミラノの自動車メーカー。西暦1,903年にアルフィエーリ・マセラティと弐男ビンド・マセラティを迎え、後にエットレ・マセラティも加わった。マセラティ兄弟が技を磨いた場であり、アルフィエーリはボローニャの顧客サービス責任者やブエノスアイレスでの事業監督を務めた。
- マセラティ 西暦1,914年12月1日、アルフィエーリ・マセラティとエットレ・マセラティが、ボローニャ歴史地区のヴィア・デ・ペポリに設立した「ソチエタ・アノニマ・オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ」が原点。自動車の整備工場兼レース用エンジンのチューニング工房であった。
- スクーデリア・フェラーリ/AAC 西暦1,929年11月16日、エンツォ・フェラーリがモデナに設立したレースチーム。アルファロメオの看板を背負って戦い、西暦1,938年に「アルファ・コルセ」へ吸収された。西暦1,939年9月、フェラーリの名を避ける社名として「AAC(自動車・航空機製作)」が設立され、西暦1,943年にマラネッロへ移転する。
- イノチェンティ イノチェンティ金物店を出発点とし、西暦1,930年に「フラテッリ・イノチェンティ」を名乗り、西暦1,933年11月3日に資本金5,000,000リラで「鋼管応用フラテッリ・イノチェンティ株式会社」へ改組。同年設けられたミラノ・ランブラーテ地区の工場を中核として事業を営んだ。
- チジタリア ピエロ・ドゥジオ率いる自動車メーカー。西暦1,946年にカルロ・アバルトが合流し、技師ルドルフ・フルシュカ等と協働した。ポルシェとの提携でF1車「Tipo 360」の契約を交わすも、西暦1,949年に崩壊。残された204スポーツカー等がアバルトの手に渡った。
- アバルト 西暦1,949年3月31日、アルマンド・スカリアリーニの出資を得て、カルロ・アバルトがボローニャに「アバルト&C.」を設立。さそり座のエンブレムを掲げ、204スポーツカーは直ちに「アバルト204A」と改称された。同社は同年中にトリノへ移転している。
- ランボルギーニ 西暦1,948年2月3日、フェッルッチオ・ランボルギーニがトラクター「カリオカ」の発表を機に設立した「ランボルギーニ・トラットーリ」が創業。バッサ地域の小規模農家向けに、安価な軍余剰品を再利用した機械を供給する事から始まった。
- デ・トマソ 西暦1,959年、アレハンドロ・デ・トマソがモデナに設立。プロトタイプとレーシングカーの製造を意図した会社で、本書が扱う創業史の掉尾を飾る。
ビアンキからデ・トマソまで──
跳ね馬と猛牛が生まれる迄のイタリア車創業史を一元化。
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