電子書籍「三種の神器 天叢雲剣の代用品 日御座の御剣一元化」の表紙

三種の神器
天叢雲剣の代用品
日御座の御剣
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦960年10月16日〜1,923年9月1日
ページ数
42ページ
文字数
6,060字
最新更新日
西暦2,026年8月14日

失われた神剣の、影武者であり続けた一振り──
日御座の御剣が辿った千年を一元化。

221円(税込)

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

三種の神器──八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉。歴代天皇が継承してきた皇位の璽である。其の内の剣たる天叢雲剣は、源平の争乱の中で安徳天皇と共に都を離れ、壇ノ浦に沈んだとされる。以後、宮中から失われた神剣の代わりを長きに亘って務めたのが、本書の主役・日御座の御剣であった。本書は、西暦960年10月16日の内裏火災から、西暦1,923年9月1日の関東大震災に至る凡そ千年を、年月日単位で一元化した記録である。

日御座の御剣は、本来、清涼殿の天皇の御座所「日御座」に置かれた護り刀である。夜は夜御殿の枕元に、昼は昼御座に安置され、天皇が行幸・出御する際には、蔵人や近臣が捧持して先導した。西暦1,017年の弓の大会では後一条天皇が自ら机上に置き、西暦1,102年の騎射会では藤原忠教が、西暦1,161年の内侍所の神楽では源通家が捧げ持っている。関白が践祚した天皇に献上し、其の天皇が譲位すれば元の贈り主に返却する──西暦1,168年の高倉天皇践祚の記事は、此の慣例をも書き留めている。

そして其の千年は、盗難の歴史でもあった。西暦979年、西暦1,080年、西暦1,131年、西暦1,156年、西暦1,182年──清涼殿の夜御殿に安置された御剣は幾度も盗み出され、役人や陰陽師が探し回り、見付からねば関白や伊勢神宮から代わりの剣が献上されて補充された。西暦1,185年6月17日の盗難では、源頼兼の家来・所久実が左衛門府の陣の外で盗人を追い詰めて捕縛し、其の報せを受けた源頼朝が、勇敢な者には褒美を与えるべきだとして御剣其の物を所に与えている。西暦1,230年には女官の手引による盗難が起き、翌年には子供が盗み出そうとして縁側で捕らえられた。西暦1,238年に保管方法が改められ、西暦1,278年頃からは天皇の移動に内侍が御剣を奉持して従う様になって、漸く盗難は止んだ。

災いは人の手によるものだけではない。御剣の緒や帯取りは鹿革であった為、其の臭いに惹かれた犬に、西暦1,171年・西暦1,172年・西暦1,181年と繰り返し噛み切られている。火災も御剣を襲った。西暦960年の内裏火災では損傷し、備前国の刀工・白根安生が焼き直したものの、焼き直した剣は天皇の護身剣には適さないとして他の剣に替えられた。西暦1,278年の火災では山城国の粟田口国吉が焼き直している。西暦1,132年には石突きが抜き取られ鍔飾りが剥ぎ取られ掛けていた事が発覚し、水模様の蒔絵に麒麟の螺鈿を施した鞘を持つ剣が新調された。

此の護り刀が神剣の座に就いたのは、天叢雲剣が失われてからである。西暦1,184年の後鳥羽天皇の即位式で代用され、西暦1,190年の元服の儀では、近衛基通が豊後国の刀工・紀新大夫行平に作らせた御剣が用いられ、三種の神器が揃わぬ儘、八尺瓊勾玉が先、天叢雲剣が後という従来とは逆の式次第で執り行われた。西暦1,198年の土御門天皇の即位も同様である。西暦1,210年に神宮御剣が採用されて一旦はお守り刀の役へ戻るが、西暦1,331年の光厳天皇の剣璽渡御の儀、西暦1,366年の後光厳天皇の行幸と、神器を欠く場面で再び神剣として立てられ、西暦1,392年に後亀山天皇が大覚寺へ移った際の御剣も日御座の御剣であった。

白河上皇が端午の節句に打たせて崇徳天皇に贈り、平宗盛が新造して献上し、足利義満が新内裏への移徙を祝って新調し、水戸光圀もまた献上した。西暦1,416年、仙洞御所が炎上した際には、称光天皇が自ら此の剣を帯びて紫宸殿の防火を指揮し、其の姿に感じ入った人々が屋根に上って火の粉を防いだ。西暦1,750年には本阿弥光勢が前例の無い研ぎを行い、「無銘」と伝えられてきた刀身に、実は紀新大夫行平の名が刻まれている事を知りながら、敢えて無銘と答えている。そして西暦1,923年、水戸光圀の献上した御剣は関東大震災で高輪御殿と共に焼失した。表舞台に立つ事の無かった一振りが、千年の宮中を陰から支え続けた記録である。


登場人物

  • 白河上皇 西暦1,129年5月24日、端午の節句に自らお守り刀を打たせ、其の内の一振りを日御座の御剣として第75代天皇崇徳天皇に贈った。此の剣は西暦1,131年3月22日に夜御殿から盗まれ、藤原忠通が後冷泉天皇の在位中に用いられた御剣を献上して代用する事となった。
  • 高倉天皇 第80代天皇。西暦1,168年、六条天皇の譲位に伴い践祚し、松殿基房から日御座の御剣を献上された。松殿基房邸である閑院に常駐して清涼殿に還御する事が稀であった為、警護が手薄となり、御剣が犬に噛まれる事件が相次いだ。
  • 松殿基房 高倉天皇に日御座の御剣を献上した人物。西暦1,180年、安徳天皇の践祚に際して献上の可否を尋ねられると、「安徳天皇は平清盛の孫の為不承知」として拒み、代わりに高倉上皇が御剣を贈る事となった。
  • 安徳天皇 第81代天皇。平清盛の孫。其の治世下で御剣の盗難が相次ぎ、西暦1,182年4月24日の盗難時も閑院に居て宮中は留守が続いていた。源平の争乱で三種の神器を奉じて都を落ち、天叢雲剣が宮中から失われる端緒となった。
  • 平宗盛 平清盛の子。西暦1,183年、前年の盗難を承けて日御座の御剣を新造し献上した。此の剣は平家滅亡後、八咫鏡・八尺瓊勾玉と共に京都へ還っている。
  • 後鳥羽天皇 第82代天皇。西暦1,184年9月4日の即位式で、天叢雲剣が無い為に日御座の御剣を代用した。西暦1,190年2月9日の元服の儀でも同じく代用され、八尺瓊勾玉が先、天叢雲剣が後という従来とは逆の式次第で執り行われた。
  • 近衛基通 第16・18代関白。西暦1,190年の後鳥羽天皇の元服に際し、豊後国の刀工・紀新大夫行平に日御座の御剣を作らせ、自ら拵えを付けて献上した。此の剣が天叢雲剣の代用として用いられた。
  • 所久実 源頼兼の家来。西暦1,185年6月17日、昼御座から盗み出された日御座の御剣を追い、左衛門府の陣の外で盗人を捕縛して御剣を元の所へ返した。此の功により兵衛尉に任じられ、其の任を息子の所久長に譲る意向を示した。
  • 源頼朝 鎌倉幕府を開いた武将。源頼兼から御剣盗難の顛末を報告されると、所久実の様な勇敢な者には褒美を与えるべきだとして、直ぐに日御座の御剣を持って来させ、所に与える様命じた。
  • 光厳天皇 初代北朝天皇。西暦1,331年10月22日、後伏見上皇の詔により、三種の神器の無い儘践祚した。剣璽渡御の儀では日御座の御剣が代用され、以降後伏見上皇の院政が始まった。
  • 後光厳天皇 第4代北朝天皇。西暦1,366年、方違えの行幸に際し、天叢雲剣が北朝に無い為、日御座の御剣で代用できるかを三条公忠に下問した。三条が後鳥羽天皇の元服の先例を挙げて問題無しと答えた為、御剣を神剣として行幸した。
  • 足利義満 室町幕府第3代将軍。西暦1,402年11月14日、後小松天皇が落成した土御門東洞院殿の新内裏へ移徙するのを祝い、日御座の御剣を新調して献上した。
  • 称光天皇 第101代天皇。西暦1,416年7月25日、仙洞御所が炎上し紫宸殿も危うくなった際、自ら日御座の御剣を帯びて防火を指揮した。其の姿に感動した人々が屋根に上って火の粉を防ぎ、紫宸殿は類焼を免れた。
  • 紀新大夫行平 豊後国の刀工。西暦1,190年、近衛基通の依頼で日御座の御剣を鍛えた。後に本阿弥光勢が研いだ際、無銘と伝えられてきた刀身に此の行平の名が刻まれている事が判明する。
  • 本阿弥光勢 刀剣の鑑定・研磨を家業とする本阿弥家の人物。西暦1,750年11月頃、前例の無い日御座の御剣の研ぎを行い、伊勢大掾の官職に任じられた。銘の有無を問われると、伝承に従い敢えて「無銘でございます」と答えている。
  • 水戸光圀 日御座の御剣を献上した人物。其の剣は高輪御殿に在ったが、西暦1,923年9月1日の関東大震災により、御殿と共に焼失した。

主要な概念・用語

  • 三種の神器 八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉の総称で、歴代天皇が継承する皇位の璽。西暦960年の内裏火災では天叢雲剣と八尺瓊勾玉が救出された一方、八咫鏡は見付ける事が出来なかった。
  • 天叢雲剣 三種の神器の一たる剣。草薙剣とも呼ばれる。源平の争乱で安徳天皇と共に都を離れて失われ、以後長きに亘り其の代用が必要とされた。
  • 日御座の御剣 清涼殿の天皇の御座所「日御座」に置かれた護り刀であり、本書の主役。天叢雲剣を欠く即位の礼・元服の儀・剣璽渡御の儀で神剣として代用され、盗難と献上を繰り返しながら千年を経た。
  • 清涼殿・夜御殿・昼御座 天皇の日常の御所と、其の中の寝所・昼の御座所。御剣は夜は夜御殿に、昼は昼御座に安置され、度重なる盗難の主な舞台となった。西暦1,278年以降は就寝時、天皇の右側に刃が南・柄が西・鞘が東となる様置かれた。
  • 践祚と即位の礼 天皇が皇位を継ぐ践祚と、其れを内外に示す即位の礼。天叢雲剣を欠く間は、此れ等や元服の儀で日御座の御剣が神剣として代用され、神器が揃わぬ儘の挙行となった。
  • 剣璽渡御の儀 践祚に際し、剣と璽を新帝へ渡す儀式。西暦1,331年の光厳天皇の践祚では、三種の神器の無い儘、日御座の御剣が代用された。
  • 神宮御剣 西暦1,183年7月頃に第44代伊勢神宮祭主大中臣親俊が後白河上皇へ贈った剣。西暦1,210年の順徳天皇の践祚で採用され、神宮御剣が先・八尺瓊勾玉が後という従来の形に戻り、日御座の御剣はお守り刀の役へ戻された。
  • 大刀契 内侍所に納められていた宝器。西暦960年10月16日の内裏火災で焼失し、同じ火災で日御座の御剣も損傷した。
  • 焼き直し 火災で焼けた刀身を鍛え直す事。西暦960年は備前国の白根安生が、西暦1,278年は山城国の粟田口国吉が日御座の御剣を焼き直した。前者は護身剣に適さないとして他の剣に替えられている。
  • 両統迭立 持明院統と大覚寺統が交互に皇位に就いた鎌倉後期の慣行。西暦1,331年、此の慣行の下で光厳天皇が神器の無い儘践祚し、日御座の御剣が其の座を埋めた。
  • 本阿弥家 刀剣の鑑定・研磨を家業とした一族。西暦1,750年に本阿弥光勢が、西暦1,871年に本阿弥光白が日御座の御剣の研磨に携わり、光白は宮内省から金2,000疋を賜った。

盗難、犬、火災、そして即位の礼──
天叢雲剣の代用を務めた御剣の全記録を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。