ドイツの自動車メーカー
創業の歴史
一元化
西暦1,856年、一人の孤児が機械工の道を歩み始めた──
ドイツの自動車メーカーを生んだ作り手達の、創業の物語。
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本書について
西暦1,856年頃、両親を相次いで亡くした一人の少年が、ロイトリンゲンの慈善教育施設「ブルーダーハウス」に引き取られた。ヴィルヘルム・マイバッハ、後に「設計者の王」と呼ばれる男である。彼は此処で機械工としての訓練を受け、西暦1,865年頃、施設の技術主任ゴットリープ・ダイムラーと知己を得る。本書は、此の出会いを起点として、ドイツの自動車メーカーが如何にして興ったのかを、創業者達の遍歴と共に年月日単位で一元化した記録である。
自動車の前に、まず異業種が有った。西暦1,858年、アダム・オペルは修行の為リュッセルスハイムを発ち、リエージュ・ブリュッセル・ロンドンを経てパリに至る。翌年、彼が其処で出会ったのはミシンであった。西暦1,862年1月21日、オペルは故郷に戻り、父の作業場と叔父の牛小屋を借りてミシン製造の個人工房を興す。法人格すら無い出発であった。一方、ダイムラーとマイバッハは西暦1,872年にニコラウス・オットーの「ガスモーター製造ドイツ社」へ入り、西暦1,882年に揃って退職して、カンシュタットの温室を改造した工房で高速内燃機関の研究を開始する。そして西暦1,883年10月1日、カール・ベンツが固定式ガス機関の製造会社として「ベンツ社」を設立した。
西暦1,886年1月29日、カール・ベンツはガソリンエンジンで駆動される車両の特許(第37435号)を申請する。同年7月3日、マンハイムの環状道路で行われたベンツ・パテント・モーターカーのテスト走行では、車両の信頼性がまだ低く燃料切れの恐れが有った為、長男ウーゲンが予備のガソリン缶を携えて走って並走した。西暦1,890年11月28日にはDMG(ダイムラー自動車会社)が設立され、マイバッハが技師長格で参画する。もっとも彼は待遇への不満から翌年2月に一度退職し、ダイムラー没後に現代的乗用車の原型メルセデス35PSを設計した後、西暦1,907年、監査役会との経営方針の対立で再び去る事となる。そして西暦1,926年6月28日、ダイムラー社とベンツ社が合併し「ダイムラー・ベンツ社」が誕生した。
独立と改称の連鎖も、本書の主題である。西暦1,899年11月14日、カール・ベンツ社で自動車生産部門の責任者を務めたアウグスト・ホルヒが、ケルンに自らの会社を興す。彼もまた西暦1,909年6月頃に経営幹部との対立で自社を去り、同年7月16日にツヴィッカウで新会社を設立、翌年4月25日に「アウディ自動車工業社」へと社名を改めた。BMWの前身も入り組んでいる。西暦1,913年10月27日頃、カール・ラップとユリウス・アウスピッツァーが資本金200,000マルクで「ラップ発動機工場社」を設立し、西暦1,917年7月21日に「BMW(バイエルン発動機製作所)」へ改称する。一方、鬱病と経営不振でグスタフ・オットーが手放した航空機製造社を母体に、西暦1,916年3月7日「BFW(バイエルン航空機製造社)」が生まれた。西暦1,920年にはBMWの社名すら一度手放され、西暦1,922年5月20日、カミーロ・カスティリオーニが75,000,000ライヒスマルクで設備・人員・特許と共に社名とロゴを買い戻している。
フェルディナント・ポルシェの遍歴は、其れ自体が一つの系譜である。西暦1,893年にベラ・エッガー社へ就職し夜はウィーン工科大学で聴講生として学んだ彼は、西暦1,898年にヤーコプ・ローナー社で電気自動車開発に従事し、西暦1,900年のパリ万博では各車輪のハブにモーターを内蔵した「ローナー・ポルシェ」で注目を集めた。アウストロ・ダイムラー社の技術主任から社長へ上り詰めるも、西暦1,923年4月30日、小型大衆車構想を巡ってカスティリオーニ等と対立して退職。ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社へ移るが、最高品質・最高性能を志向する彼と、低い生産コストを求める経営陣との溝は埋まらず、西暦1,928年12月31日に再び会社を去る。シュタイア社も僅か1年で辞し、西暦1,931年4月25日、遂に自らの設計事務所を設立した。
そして戦後、ドイツ車の世界には別種の作り手が現れる。西暦1,965年、ダイムラー・ベンツ社のレーシングドライバー、マンフレート・シークが、ハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとエアハルト・メルヒャーの開発した300 SEレーシングエンジンで勝利を重ねた末に死去し、選手権タイトルを追贈された。翌年アウフレヒトは同社を退職し、レースで実績を出した技術をロードカーに反映するというビジョンをメルヒャーと共有する。西暦1,967年6月1日、水車小屋だった建物に「AMG」が設立された。西暦1,976年頃には、父のメルセデス・ベンツ販売店に愛車のポルシェ911を停める事を許されなかったボド・ブッシュマンが、「メルセデス・ベンツをポルシェ911より速くしたい」と考え、翌年9月頃に「ブラバス社」を登記する。西暦2,006年、クラウス・ディーター・フレースが「アルテガ社」を興すまで——異業種から興り、独立と対立と改称を繰り返した作り手達の系譜を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- ヴィルヘルム・マイバッハ 西暦1,856年頃、両親を相次いで亡くしてロイトリンゲンの慈善教育施設「ブルーダーハウス」に引き取られ、機械工の訓練を受けた。ゴットリープ・ダイムラーと共にガスモーター製造ドイツ社を経てDMGに技師長格で参画し、ダイムラー没後に現代的乗用車の原型メルセデス35PSを設計して「設計者の王」と呼ばれた。西暦1,909年3月23日、息子カール・マイバッハと共に、ツェッペリン伯爵の出資でルフトファールツォイク・モトーレンバウ社を設立した。
- ゴットリープ・ダイムラー ブルーダーハウスの技術主任として西暦1,865年頃にマイバッハと知り合い、彼をニコラウス・オットーのガスモーター製造ドイツ社へ招いた。西暦1,882年に2人で同社を退職し、カンシュタットの温室を改造した工房で独自の高速内燃機関の研究を開始。西暦1,890年11月28日にDMGが設立され、西暦1,900年3月6日に死去した。
- カール・ベンツ 西暦1,883年10月1日、マックス・カスパー・ローゼ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・エスリンガーと共に固定式ガス機関の製造会社「ベンツ社」を設立。西暦1,886年1月29日にガソリンエンジン車両の特許(第37435号)を申請し、同年7月3日、マンハイム環状道路で3輪のベンツ・パテント・モーターカーのテスト走行を実施した。長男ウーゲンは燃料切れに備え、予備のガソリン缶を携えて走って並走した。
- アダム・オペル 西暦1,857年頃に父ヴィルヘルム・オペルの下で錠前職人の修業を終え、翌年リュッセルスハイムを発ってパリへ向かった。西暦1,859年に其処でミシンと出会い、製造業社で技術を学ぶ。西暦1,862年1月21日、故郷で法人格を持たないミシン製造の個人工房を創業した。当初は父の作業場、後に叔父の牛小屋を借りての出発であった。
- アウグスト・ホルヒ マンハイムのカール・ベンツ社で自動車生産部門の責任者を務めた後、西暦1,899年11月14日にケルンで独立し、当初は車やオートバイのエンジン修理を手掛けた。西暦1,904年に株式会社へ改組してツヴィッカウへ移転するも、西暦1,909年6月頃に経営幹部との対立で自社を退職。同年7月16日に新会社を設立し、翌年4月25日「アウディ自動車工業社」へ社名変更した。
- フェルディナント・ポルシェ 西暦1,893年にベラ・エッガー社へ就職し、夜はウィーン工科大学で聴講生として学んだ。ヤーコプ・ローナー社で電気自動車を開発し、西暦1,900年のパリ万博では「ローナー・ポルシェ」とハイブリッド車「ゼンパー・ヴィヴス」を世に問う。アウストロ・ダイムラー社長、ダイムラー・ベンツ社技術主任、シュタイア社技術部長と職を移した末、西暦1,931年4月25日に自らの設計事務所を設立した。
- グスタフ・オットー 機械工学技師。西暦1,910年4月10日にアヴィアティック社の複葉機でパイロット免許を取得し、同年12月12日、ヘルベルト・アルベルティと共にオットー・アルベルティ航空機製造社を商業登記した。西暦1,915年に鬱病でミュンヘンの病院に入院し、翌年2月、健康問題と経営不振により経営から離脱。其の資産を母体としてBFW(バイエルン航空機製造社)が設立された。
- カール・ラップ フルークヴェルク・ドイツ社ミュンヘン支店の支配人・業務責任者を務めた後、西暦1,913年10月27日頃、元バイエルン銀行頭取ユリウス・アウスピッツァーと共に、資本金200,000マルクで「ラップ発動機工場社」をミルベルツホーフェンに設立した。同社は西暦1,917年7月21日、「BMW(バイエルン発動機製作所)」へと改称される。
- カミーロ・カスティリオーニ 西暦1,920年5月、BMWをクノル・ブレーキ株式会社の株主シンジケートへ売却し、西暦1,922年5月20日には逆に、エンジン製造部門の設備・人員・特許と社名「BMW」及びロゴを75,000,000ライヒスマルクで譲り受けた。西暦1,921年9月頃にはBFWの買収を仕掛け、初代BMW社長フランツ・ポップの説得により翌年これを実現している。フェルディナント・ポルシェとは、小型大衆車構想を巡って対立した。
- ハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとエアハルト・メルヒャー ダイムラー・ベンツ社で300 SEレーシングエンジンを開発した2名。同エンジンを積んだ車でドイツツーリングカー選手権を戦ったマンフレート・シークは西暦1,965年9月11日に死去し、タイトルを追贈された。翌年アウフレヒトは同社を退職してメルヒャーを誘い、西暦1,967年6月1日、水車小屋・製粉所だった建物に「AMG」を設立した。
- ボド・ブッシュマン 西暦1,976年頃、法学部の学生でポルシェ911に乗っていたが、メルセデス・ベンツ専門ディーラーの父ヴィリーから販売店の駐車場に停める事を許されず「停めるならベンツにしろ」と言い渡された。ポルシェ911を売ってW116型Sクラスに乗り換えた彼は、次第に「メルセデス・ベンツをポルシェ911より速くしたい」と考える様になり、翌年9月頃、友人クラウス・ブラックマンと「ブラバス社」を登記した。
- クラウス・ディーター・フレース 機械エンジニア。西暦2,006年、デルブリュックにて「アルテガ社」を設立した。社名はブランド開発専門家マンフレッド・ゴッタによる命名で、イタリア語の「arte(芸術)」に由来し、技術・情熱・インスピレーションを内包するスポーツカー製造の芸術性を象徴するとされた。本書が記録する、最も新しい創業である。
前身企業と現在のブランド
- ベンツ社 西暦1,883年10月1日、カール・ベンツ等3名により固定式ガス機関の製造会社として設立。西暦1,886年のガソリン車特許とベンツ・パテント・モーターカーを経て、西暦1,926年6月28日にダイムラー社と合併し「ダイムラー・ベンツ社」となった。
- DMG(ダイムラー自動車会社) 西暦1,890年11月28日設立。ヴィルヘルム・マイバッハが技師長格で参画し、後にメルセデス35PSを生んだ。マイバッハは待遇を巡り西暦1,891年2月11日に一度、経営方針を巡り西暦1,907年に再び退職している。ベンツ社との合併により、現在のメルセデス・ベンツへ繋がる。
- アウグスト・ホルヒ社 → アウディ 西暦1,899年11月14日にケルンで創業し、西暦1,901年に第1号車が完成。ライヒェンバッハ、ツヴィッカウと本社を移した。ホルヒの退職後、西暦1,909年7月16日設立の「アウグスト・ホルヒ自動車工業社」が、翌年4月25日に「アウディ自動車工業社」へ改称された。
- ラップ発動機工場社 → BMW 西暦1,913年10月27日頃、カール・ラップとユリウス・アウスピッツァーが設立。西暦1,917年7月21日に「BMW(バイエルン発動機製作所)」へ改称した。西暦1,920年には「南ドイツ・ブレーキ株式会社」と改称されるが、西暦1,922年5月20日、社名とロゴがカスティリオーニに譲渡されている。
- グスタフ・オットー航空機製造社 → BFW 西暦1,911年3月15日にミュンヘン商業登記簿へ登録。西暦1,916年2月、オットーが経営から離脱し、ダルムシュタット銀行・ヘルマン・バッハシュタイン・MAN AGから成るコンソーシアムが資産を引き取った。同年3月7日、これを母体として「BFW(バイエルン航空機製造社)」が設立される。
- ルフトファールツォイク・モトーレンバウ社 西暦1,909年3月23日、ヴィルヘルム・マイバッハと息子カール・マイバッハが、伯爵フェルディナント・フォン・ツェッペリンの出資の下、ビッシンゲンにて設立した会社。マイバッハの名を冠するブランドの源流にあたる。
- ポルシェ設計事務所 西暦1,930年12月にシュトゥットガルトのクローネン通りへ事務所を構え、西暦1,931年4月25日、「名誉工学博士F.ポルシェ有限会社、エンジン及び車両製造の為の設計・顧問業」として設立。他社の依頼で自動車やエンジンを設計する、設計事務所兼コンサルティング会社であった。
- ドイツ国民車準備会社 西暦1,937年5月28日、DAF(ドイツ労働戦線)主導でベルリンに設立された会社。フォルクスワーゲンの出発点にあたる。
- AMGとブラバス 西暦1,967年6月1日設立のAMGは、レースで実績を出した技術をロードカーに反映するというアウフレヒトのビジョンから生まれた。西暦1,977年9月頃にボトロップで登記されたブラバス社は、ブッシュマンとブラックマンの頭3文字を連結した社名を持つ、メルセデス・ベンツのチューニング専業会社である。
- MCC社とアルテガ社 西暦1,994年3月4日、ダイムラー・ベンツ社51%とスウォッチを擁するSMH社49%の出資で合弁会社「MCC(マイクロ・コンパクト・カー)社」が設立され、工場はフランスのハンバッハに建設された。同年1月31日にはBMWがローバー・グループの80%株式取得によりミニブランドを得ている。西暦2,006年のアルテガ社が、本書の最後の創業である。
一軒のミシン工房からアルテガまで──
ドイツ車メーカーが産声を上げた瞬間を一元化。
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