正力松太郎は
3S政策の一環で
プロ野球を作った
一元化
西暦1,931年、野球は部数を生む興行だった──
正力松太郎が築いた日本プロ野球創設の二十年を一元化。
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本書について
西暦1,931年、読売新聞社の発行部数を伸ばす為に、一人の新聞人がアメリカ大リーグ選抜を日本へ招いた。社長・正力松太郎、其の人である。東京六大学のスター選手と大リーガーが相見えた日米野球は、17戦全てを大リーグ選抜が制したものの、興行としては大成功を収め、開催前に220,000部だった読売新聞の発行部数は270,000部へと跳ね上がった。野球は「部数を生む興行」であった──本書は、此の発見を起点として、正力が日本のプロ野球を築き上げてゆく二十年の歩みを、年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,932年、文部省は「野球統制令」を公布し、営利企業が主催する大会や、来日した外国チーム・プロ選手との試合を厳しく制限した。再びアメリカ大リーグ選抜を招いても、最早大学チームと対戦させる事は出来ない。ならば、対戦相手となる職業野球チームを自前で持てばよい──市岡忠男・鈴木惣太郎ら読売の運動部員に働き掛けられた正力は、西暦1,934年12月、遂に「大日本東京野球倶楽部」を創立する。翌年のアメリカ遠征中、大リーガー・レフティ・オドールの助言で「東京ジャイアンツ」を名乗った此のチームは、75勝33敗の成績を残して帰国し、「東京巨人軍」と改称した。日本初の本格的職業野球チームの誕生であった。
巨人軍の成功は、鉄道会社と新聞社を次々に巻き込んでゆく。西暦1,935年に阪神電鉄が大阪野球倶楽部(後の大阪タイガース)を、西暦1,936年には新愛知新聞社が名古屋軍を、旧西武鉄道が東京セネタースを、阪急が阪急軍を相次いで設立した。そして西暦1,936年2月、正力を中心に7球団が集い「日本職業野球連盟」が発足する。総裁には大隈信常、相談役には正力と小林一三が名を連ねた。後楽園・南海・金鯱軍も加わり、職業野球は瞬く間に全国規模の興行へと育っていった。
しかし戦争が全てを覆う。西暦1,940年、連盟は球団名の日本語化を決定し、タイガースは阪神軍に、セネタースは翼軍へと姿を変えた。徴兵と資金難の中で球団は合併・解散を重ね、西暦1,944年には連盟自体が「日本野球報国会」へと改組される。そして敗戦直後の西暦1,945年12月、GHQは59名の戦犯容疑者の逮捕を命じ、其の中に正力松太郎の名が在った。翌西暦1,946年、正力は公職追放処分を受ける。
転機は西暦1,947年に訪れる。巣鴨拘置所の正力に対し、CIAはエージェントとして働く事を条件に釈放を約束した──本書が「3S政策」という視座から問い直すのは、此処から先の歩みである。占領下、野球は急速に復活し、西暦1,949年、名誉総裁兼コミッショナーとして連盟に迎えられた正力は「2〜3年の内に球団を増やし、2リーグにしたい」と宣言する。永田雅一や毎日新聞社を巻き込んだ拡張構想は同年実を結び、職業野球は「セントラル野球連盟」と「太平洋野球連盟」へと分かれた。発行部数を伸ばす一興行として始まった野球が、国民的娯楽へと膨れ上がり、占領政策と冷戦の力学に絡め取られてゆく──其の全軌跡を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 正力松太郎 本書の中心人物。読売新聞社社長。発行部数増を狙って日米野球を仕掛け、大日本東京野球倶楽部(東京巨人軍)を創設した。日本職業野球連盟の相談役を務め、戦後は名誉総裁兼コミッショナーとして2リーグ制を主導。西暦1,945年にGHQから戦犯容疑で逮捕を命じられ、西暦1,947年の釈放と引き換えにCIAのエージェントとなった。
- 市岡忠男 読売新聞社運動部長。鈴木惣太郎・浅沼誉夫・三宅大輔と共に、野球統制令で大学チームと大リーグ選抜を対戦させられなくなった正力に、職業野球チームの設立を働き掛けた。
- 鈴木惣太郎 読売新聞社運動部嘱託で、大日本東京野球倶楽部のマネージャー。アメリカ遠征中、オドールが提案した「ジャイアンツ」の愛称を採用した。戦後は連盟副会長を務めた。
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レフティ・
オドール 大リーグ・ナショナルリーグの「ニューヨーク・ジャイアンツ」に在籍した選手・監督。日米野球で来日し、鈴木惣太郎に「東京ジャイアンツ」の愛称を提案した。 - 大隈信常 大隈重信の娘婿で、平戸藩主松浦詮の五男。大日本東京野球倶楽部の取締役会長を務め、日本職業野球連盟では総裁に就いた。
- 小林一三 阪急の創業者。阪急軍を擁し、日本職業野球連盟の相談役に名を連ねた。南海軍の設立にも関わった、関西の球団網を支えた実業家。
- 有馬頼寧 貴族院議員。正力の呼び掛けに応じ、東京セネタースのオーナーに就任した。
- 鈴木龍二 元國民新聞社社会部長。大東京軍の球団代表に始まり、戦後は日本野球連盟会長・株式会社日本野球連盟社長として、長くプロ野球界の中枢に在り続けた。
- 高橋龍太郎 大阪麦酒社長。正力の誘いで、経営難に陥った後楽園イーグルスのオーナーとなり、球団を「イーグルス」へと改称した。
- 田村駒治郎 田村駒社長。大東京軍を継いだライオン軍(後の朝日軍・太陽ロビンス)の経営に深く関わり、戦中戦後の球団存続を支えた。
- 永田雅一 大映社長。中部日本を退団した選手らと球団を結成し、後に金星スターズを買収して大映スターズとした。正力と共に2リーグ制移行の鍵を握った人物。
- 大川博 五島慶太に迎えられ東急フライヤーズのオーナーに就任。球団売却話に「フライヤーズは戦争で憔悴した人々の心の拠り所だ」と反対し、太平洋野球連盟の設立を主導した。
- 谷川昇 元内務省警保局長で元山梨県知事。広島球団の日本野球連盟への加盟を申請し、「カープ」誕生の立役者となった。
球団とリーグの系譜
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大日本東京
野球倶楽部 西暦1,934年設立の、日本初の本格的職業野球チーム。アメリカ遠征中「東京ジャイアンツ」と呼ばれ、帰国後「東京巨人軍」に。西暦1,947年「東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)」となり、セントラル・リーグへ。 -
大阪
野球倶楽部 西暦1,935年、阪神電鉄を親会社に設立。翌年「大阪タイガース」と命名され、戦時中は「阪神軍」、戦後再び「大阪タイガース」に戻った。 - 名古屋軍 西暦1,936年、新愛知新聞社が設立。戦時中に「産業軍」「中部日本」を経て、西暦1,947年「中日ドラゴンズ」へと改称した。
- 阪急軍 小林一三の阪急が擁した球団。後の「阪急ブレーブス」で、太平洋(パシフィック)野球連盟の一角を担った。
- 南海軍 西暦1,938年、南海鉄道が設立。戦時統合で「近畿日本軍」、戦後「近畿グレートリング」を経て「南海ホークス」となった。
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東京
セネタース 西暦1,936年、旧西武鉄道が設立。「翼軍」を経て名古屋金鯱軍と合併し「大洋軍」、買収後「西鉄軍」となったが、西暦1,943年に解散した。 -
後楽園
イーグルス 西暦1,937年設立。「イーグルス」「黒鷲軍」「大和軍」と改称を重ねたが、戦局の悪化により西暦1,943年に解散した。 - 大東京軍 西暦1,936年、國民新聞社が設立。「ライオン軍」「朝日軍」「パシフィック」を経て、西暦1,947年「太陽ロビンス」となった。
- 金星スターズ 西暦1,946年「ゴールドスター」として設立。「金星スターズ」を経て、西暦1,948年、永田雅一の買収により「大映スターズ」となった。
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日本職業
野球連盟 西暦1,936年に7球団で発足。「日本野球連盟」「日本野球報国会」と名を変えつつ戦後復活し、西暦1,949年、正力松太郎の主導で「セントラル野球連盟」と「太平洋野球連盟」の2リーグ制へと分かれた。
日米野球から2リーグ制まで──
正力松太郎とCIA、そして日本プロ野球創設の全軌跡を一元化。
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